浮気と本気。切ない恋心を検証する。

夫の留守に夫の車に乗っていたら・・・なんだか昔ちょっと良い感じになった人とお互いお相手の居ない間にコッソリと逢瀬を重ねているような気持ちになって革巻きのステアリングを握ります。

ねえ、あなたはあの人に取られてしまったけれど、あの人といるよりあたしと一緒のほうがいいに決まってるわ。あの人はあなたのことを確かに大事にしてるけど、やり方がちょっとひどいじゃないの。
あたし、いまでもあなたに夢中なのね、こうやって逢ってみたらよくわかるわ。もちろん、アタシの彼は最高にクールだけれど、あなたに感じたトキメキとは別モノなのよ。

これは浮気だろうか?本気だろうか?

わたしの車はとっても素敵だ。相棒としてあれ以上の車はない。
古い車だから、いずれ修理を諦めないといけない時が来るだろう。次どんな車を買えば良いのか、色々考えてみるけれど、想像もできない。
(震災以来中古車購入は放射能のリスクをとることになるので、どこを走ってた車か検証できないと安易に手出しできなくなっちゃったし)

だけど、夫の車を乗って感じるときめきとは違うのよ。
彼の車はわたしをとろけさせる。そして、ちょっと切ない気持ちになる。彼のいない今、彼の車に乗るとそれがよくわかる。
ああ、わたしはあなたに一目惚れしたのよ。短い恋だったけど、今でもこうやってあなたと二人きりになると、あたしの気持ちはあの時から変わってないってことがよくわかるわ。

その後、わたしは自分の車を買った。
わたしの車はわたしをハイにする。
「今日はどこ行くの?さあ、ファンキーな菜っ葉買いに行こうぜ、カワイ子ちゃん!」ってな感じだ。

相棒とかバディーと、とろける恋とは違うものなのだろうか?だとしたらどちらも両立してしまう。

これを人間相手にやると、ややこしそうです。
ああ、早く帰ってこないかしら、わたしの車。夫の車に乗っていると切ない気持ちが募るのです。

今日のお昼にムラムラとソース焼きそばが食べたくなって、青泥の後に作ってしまった。

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焼きそば食べたら長いこと寝てしまった。甲田定食を食べなかったので、昨日予定していた布の仕上げは途中までしかできませんですた。
どうやらソースには習慣性があるようで、周期的に食べたくなってしまって危険です。
ソースは習慣性のあるソフトドラッグ。
よく食べて、良く寝て、良く太る?! 

アホなこと書いてないで、また「あの人」と二人っきりでシッポリしてこよ~っと。

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木になっている柿は美味しそうか?という問題 その2

昨日の記事の続きです。

さて、魚はどうでしょうか?
海の中でアジやサンマが泳いでいるところにはなかなかお目に掛かれませんが、イワシが泳いでいるところを見せてくれる水族館はあります。マグロが泳いでいる水族館に行ったこともありました。マグロは丸ごと頂かないので、あんまり「おいしそう」とは思いませんでしたが、イワシがグルグルキラキラ回っている光景は「ああ、美しい・・・イワシ、美味しそう」と思いました。泳ぐイワシと、イワシの刺身が頭の中で一緒になったというわけです。

いよいよ動物です。

わたしはイスラームの宗教行事で牛を犠牲にして、そのまま解体するところをずーっと見ていたことがあります。もう20年くらい前の話です。
専門の人がいて、イスラームの教義にのとり、牛の頭をメッカの方向へ向けて、お祈りを唱えて頸動脈を切るんです。(やり方がちゃんと決まっている)その前に、牛が暴れないように手足を縛って、横に倒して、とやるのですが、「うわぁぁぁー~~」と思いながら見てました。この時の気持ちは「ああ、残酷な、可哀想、もう肉なんか食べない!!」です。
そして、皮を剥いで、皮の上で上手に解体して行くんです。皮を剥ぐのがすごい上手。皮の上で解体するので、肉も汚れません。さすが、砂漠の民(イスラームの発祥はアラビア半島)の智慧、合理的です。そんなことにやたら感心しながらも作業はプロの手によって着々と進みます。

バングラデシュの牛ですから、痩せていて、「どこ食べるんやろ?」と思うような牛なんですが、身体の中ってほとんど消化器官なんですね。牛は人間と違って胃がよっつもあるので、尚の事分量が多いのでしょうが、わたしはコレを見ているので、「消化にかかるエネルギーは膨大である」という理屈が良くわかります。上半身の筋肉なんかちょこっとで、肉(筋肉)らしいところは太ももくらいのもんです。だから、フィットネスで下半身を鍛えると効率がいいというのも良くわかります。筋肉の60%だか70%は下半身にあるそうです。内蔵は膨大に大きいのだけれど、この大きな内蔵を支えるためにボディーコアを鍛えるのが重要、というのもよくわかります。

話が逸れてしまいました。

「内蔵でっかい!!」などと驚いているうちに、解体作業が進み「牛」から「肉」へと変身していきます。肉になってくるにしたがって、「美味しそう、でもここの肉、固いからステーキにはならないんだよなあ」と思う自分がおりました。なんとも、いい加減なものです。たぶんわたしはデリカシーに欠けるのでしょう。

つまり、生きている牛はかわいい、美しい、すごい存在だけど、「肉」になったらもう「美味しそう」と思う訳です。(20年私の場合です。)

さて、20年前から時間が経って、わたしも中年のオバちゃんになり、ナチュラル・ハイジーンや、ローフード、甲田療法なども齧るようになりました。

去年の夏、友達に誘われてのお父さんの法事に行ってきました。このお父さんは地域に貢献した大変な方だったらしくて、招待客3000人。3000人分の料理を出してお父さんを偲ぶセレモニーです。
3000人分の料理って、想像がつきませんが、牛3頭、ヤギ6頭だったかな?

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特設会場で調理の図。燃料には薪ではなくて、籾を固めたエコな燃料。後ろに山のように見えるものは、この家で飼っている牛のための藁。ちなみに料理されたのは買って来た牛で、家の牛ではありませんでした。

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徹夜でお料理を作った料理人の皆さん達

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難民キャンプの食料配給を待っている子供じゃないです。法事のご馳走を食べに来た村の子供達。バナナの幹を剥いだものがお皿です。手で食べるのはこの地域の伝統で、スプーンやお箸がないからではありません。

電気はあるけれど、訪問に不便な村でのことです。多くの村人にとっては、「お腹いっぱい肉を食べる」機会になっているようです。都市では毎日肉魚を食べてみなさん、生活習慣病まっしぐらですが、村では牛やヤギなど市の立つ日か、何かイベントでもないと食べられないようです。

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これは鶏と家鴨のおうち。夜の間、野良犬や泥棒にやられないように大事に鍵を掛けておく。とても大事にしているので、鶏なんかお客さんでも来ないと落としません。というわけで、私が村に行くと鶏が殺されるわけです。まあ、今回は法事のご馳走があったので、特に料理は出てきませんでした。

解体は日が暮れてから行われて、料理は専門の料理人が徹夜で作ります。

長くなったので、また続きます。

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木になってる柿は美味しそうか?という問題 その1

いつぞや、べジレストランについてちょっと書いた時のことです。
元お肉大好き、現在ベジタリアンの方がコメントを下さいました。
チェンマイベジレストランで食べる

でも、ベジタリアンになってから、
「動物愛護派の人は植物へのシンパシーはないのだろうか?わたしにはどう考えても「動物は可哀想だけど、植物は食べても良い」という理屈がよくわかりません。
こういう話をよく肉食の人からされますが、どうもわたし的には、その感覚がよくわかりません。
普通の感覚(普通の定義はわかりませんが)だと、たわわに実った柿を見ると「美味しそう♪」って思うのは自然な感じがします。
でも、ヨチヨチ歩く子羊を見て、「かわいい♪」よりも「美味しそう~♪」という人は、あまりいないんじゃないかと思うのです。

「動物も植物も、同じ命として見る」って主張もアリなのだと思いますが、なんだかなんだかわたしにとっては無理やりの観が否めません。



このコメントを読んで、ハタと考え込んでしまいました。
「無理やりの観」だろうか???
なので、わたしの感じていることをことを経験も含めて探ってみよう思います。


ウチには柿の木があって、それは、庭に埋めた生ゴミから生えて来た実生の柿の木なんです。その柿の木が一昨年(昨シーズン)から実を付けだして、一昨年は3っつほど収穫したんです。去年(つまり今シーズン)は収穫期にはバンコクに来ていて留守だったのですが、留守を預けて行った友達が報告してくれたところ「40個くらいあったよ」だそうで、「ああ、なんと間の悪い、しかし、なんとかわいい柿の木よ」と思うのです。
もちろん、剪定もするし、ひこばえが生えて来たら、それは切ってジュースにするし、日照りが続いて葉がチリチリになっていたら、水やりもして、放置しながらもかわいがっている、家族のひとつです。
だから、わたしにとって柿の木は「かわいい」
その柿の木に実がなるとやっぱり「かわいい」
柿の実が赤くなったら「ああ、かわいい」 と感じます。あんまり食べ物だと思わないのですね。

でも、放置しておくとカラスにやられるだけですから、「カラスに喰い散らかされるよりはわたしが食べよう」収穫して家に持って入ります。

売ってる柿みたいにきれいじゃないし、渋いかもしれない。でも、家の中に入って来ると庭のかわいい柿の実が「食べ物」に変化します。

イチゴだってそうです。庭で生えているイチゴの実が赤くなったら「きれいだな、かわいいな」と思いますが、愛でていたって、ナメクジの餌食ですから、しょうがない、収穫しましょう「ちょいとごめんなさいね。」と一言謝ってプチンと切ります。すると、イチゴが食べ物に変身するのでしょうか?食べられる。

実のものはまだ「さあ食べて下さいよ」という雰囲気を醸していますが、菜っ葉を食べるようなものはもうだめです。

まず、可哀想で間引きが出来ない。だって、生えている状態ってのはリアルに生きているのです。それを選別して、良いものだけ残すって、すごいエゴです。でも間引きをしないとダメなんですよねえ。。。多少は間引きも出来るようになりました。
そっから先です。日々声をかけ、水をやって、虫を取って(虫にはシンパシーを感じないので殺戮も平気だけれど、自分が虐殺者であるという自覚はあります)菜っ葉もすくすくと成長して、「ああ、食べなくちちゃトウが立っちゃう」と思うので、なるべく食べるようにするのですが、なかなか収穫をマメにできないんです。

なんでかなあ?と考えたら、庭で育てている菜っ葉は、あまり食べ物だ、という自覚を持てないんですね。もちろん、家の中に持って入ったら食べ物に変身するのだけれど、土に根を降ろしている人たちはあんまり食べ物だと思えないの。グズグズしているうちにトウが立って、花が咲いて、「ああ、きれいだな、また食べそびれてしまった」と思います。その咲いた花を摘んで来て、活けたりするんですが、花を育てていた訳じゃないんだけれど・・・野菜の花ってかわいいんですよね。

農業の才能がないだけなんでしょうが、自分でもなさけないなあ、と思います。だけど、わたしは木になっている柿を「美味しそう」だと思わないで「ああ、かわいい、きれいだ」と思い、育てている野菜も「ああ、かわいい、よしよし」と思うようです。

続きます。

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届きものがありました。

今朝、玄関の鉢の花殻を摘んでいたら、宅配さんが荷物を持って来てくれました。

あれまあ!大きな箱!しかも、クールだよ。

とても丁寧できれいな筆跡の手紙と共に届いたものは、

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わーい!!イチゴだぁ~。そして、スナップエンドウもたくさん!!

お祖母さんが作ってるそうです。無農薬のイチゴって、本当に貴重なもの、こんなにたくさん育つなんて、いったいどれほどの丹精をしてらっしゃるのか、と思います。

お手紙には「ブランドのイチゴみたいに、味がどうこう」と書いてあったけど、わたしが農薬ドッチャリ使って育てたイチゴなんか食べる訳ないじゃないの!

早速洗いもせずにひとつつまんだら、こんな人が出てきました。

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プライバシー保護のために手ぶれ撮影にしてあります。
畑の様子が目に浮かぶようです。アリンコがいて、ナメクジにちょっと味見された美味しいイチゴ。摘むのも結構な手間なのに、とっても丁寧に梱包してくれて、涙が出そうになったよ。
ありがとう。嬉しかったです。
そして、とっても切ないです。


この方(アリんコじゃなくて、送ってくれた人のことよ)は、わたしの料理教室に参加しよう、と思ったのです。が、摂食障害だけど、それでも良かったら、と長いメールをくれたのです。

わたしは摂食障害の経験はないし、自分の身近にもいないので、何も分からないのだけれど、まだ人数に空きがあったから、「まあ、そう言わずにいらっしゃい」と営業を掛けた訳です。

結局、遠方だったことと、お泊まりが難しい、ということで、今回はお会い出来なかったのだけど、こんな美味しいものを届けてくれたのです。

メールの文面からも、「頭も良くて、勉強も出来て、マジメで、誠実で、ちょっと美人で、几帳面で、多分、学級委員とかもやって、嘘も曲がったこともできないような人なんだろうなあ、きっと字もとってもきれいに書くんだろうなあ」と思っていたら、思った通りでした。
今時こんなにきれいな字を書く子がいるなんて・・・

ご飯を食べたり、夜になったら眠ったり、本を読んだり、映画を見たりっていう、しごく当たり前(だと思っている)ことが、当たり前でなくて苦しんでいる人が少なくない、っていうことをこのブログを始めてから知りました。
何かの力になることなんか出来ません。カウンセラーでも医者でもないし、自分のことだって持て余しているのに、人のことまで分かる筈ないもの。

でもねえ、思うのよ。今はまだ生きてるんだし、生きてるだけで丸儲け!なんだから、いいじゃないの。まず、今の自分を許して、それから、なりたい自分になれば、って。そんなに自分を責めなくても良いじゃない。

ただねえ、聞き飽きたことだろうけれど、身体を痛めることをしていると、いつか身体が「もう付合いきれん!!」って反乱起こすよ。だからね、程々にしておかないと、「仕舞ったな」ってことになった時に、きっと後悔すると思うのよ。やるなら、徹底的に納得の上でやればいい!あなたの身体はあなたのものなのだから。

例えばね、喫煙者は肺気腫の苦しさを一応は知っておいた上で、タバコ吸いましょうね、って思うんです。病気になった時に「こんなに苦しい思いをするなら、タバコなど早く止めておけば良かった」と思わずに済むように、です。タバコの煙で人の迷惑を掛けるから、っていう、そんな他人のことじゃなくて、自分に何が起こるのか、自分の身体に何をしているのか、ということから目を逸らせちゃいけません。
だって、自分がやっていることは緩やかな自殺なんですから。自分に毒を盛っているのですから。

過食嘔吐の人は、食べ物やお金を祖末にする、って言うけれど、本当に粗末にしているのは、ご自分のプライドや、身体なんだ、ってこと、よく納得してね。

わたしが食べ過ぎて、ウップウップなって、寝ちゃうのは、自分の健康と時間を無駄にしているのですね。もしかしたら読めたかもしれない本、出たかもしれない宿便を犠牲にして、「あー食べ過ぎちゃた」今日もまた食養生に失敗したよ、ま、いいか!と惰眠をむさぼるわけです。

わたしは極楽トンボだから、あんまり気にしないで忘れちゃう。ま、いいか、って思うのは、ダメな自分があまり苦にならないんです。立派な人間じゃないもん。もともとダメだと思ってるので、ダメなことやってもダメージが少ないのね。

しかし、真面目な人は「またやってしまった」と本気で気に病むんだと思うんです。やってしまったことにフォーカスしちゃうと、またやってしまうと思うんだけどどうなのかしら?
「今日のよくできました!」にフォーカスしようよ。

後悔する、ってイヤなもんです。誰だって最後は死ぬんです。私だって、いつか分からないけれど、絶対に最後はあの世に行くのです。どうやって最後の旅を完成させるのか、私達は選択することも出来るんです。

わたしの魂は(あなたの魂も)、今の身体を選んでこの世に生まれて来て、今の世の中をロールプレイングして遊んでいるの。そこで、色んな人(魂)に出会って、友達になったり、嫌いになったり、「アホちゃうか?」って思ったり、そういうわたしが一番「アホ」だって気がついたり、と日々「人間ごっこ遊び」をしているんです。

若くてきれいで本当ならば一番楽しい時間に何て事やってるんだ!!って思ってるかもしれないけれど、心配ないよ。女の盛りは40代、きれいで楽しくて、お金もまあ自由になって、分別もあって、自分が何をやってるか、多少の知恵がついて、自分に何が出来て、何が出来ないかもちょっとは分かって、身体も元気で、まだ頑固にはならなくて・・・

わたしは今がとても楽しい。10代や20代の時よりもうーんと楽しいよ。20代の頃よりもイイ女だし、友達だってたくさんいるし、車もあるし、男の子にだってモテている(多分)!
(60代にはもっと楽しくなってるかもしれないけど、まだわからないや)

病気の人も、悩みのある人も、「そりゃウソやろ!」って思うかもしれないけれど、ちょっと聞いてほしいです。
今の現実の色々な不都合なことって、自分で引き寄せてるんです。自分から問題の中に頭(または全身)を突っ込んで、その中でマッタリしてるんです。

もちろん、あなたに何かを教えるためにやってくる災難ってこともあるでしょうが、それって、必要だったことなんです。これを解決してごらん、夢の世界が開けるよ、っていうメッセージ、夏休みの宿題みたいなものなんですよ。

気持ちのスイッチって言うのが、何処かにあって、パチって入れ替えると「あれ?なんであんなことで悩んでたんやろ?」って思うことがあると思うの。
スイッチ(周波数でもいいや)を入れ替える方法は色々あるけど、一つは、変えられそうなヨロシクない習慣をヨロシイ習慣に替えてみる努力をすることです。
その努力することをよりしろにするとスイッチがパチっと変わる時が来ます。

頭の中でグリグリ考える人は、身体を動かすことをお薦めします。マッサージでも、ストレッチでも何でも良いです。ヨガを習いに行っても良いし、活元運動をしてもいい。だいたい頭はアホです。その点、身体はとーってもお利口なのよ。だから、身体に教えてもらうと良いんです。身体に聞いてごらん、「何がしたい?何を食べよう?」って。練習すると答えが聞こえるようになるから。

食べ物を変えるというのは、とても合理的な方法です。だって、身体に入るものって、身体の中で化学反応を起こして、精神や、心、気分なんかにも作用するからです。簡単な例でいえば、お酒ですが、お酒を飲むとドキドキしたり、気が大きくなったり、楽しくなったり、泣いたり、色々するでしょ?
それと同じことです。食べ物というのは、口に入れるもの全部。だから、サプリや薬もそうですよ~。あなたの問題は、あなたが頼りにしているサプリや薬が起こしているってことだってあるんです。
止めれるものから止めてみようね。心配いらないよ、どうせ、いつかはあの世に行くんだから(ぜんぜん慰めになってない?でも、ホントでしょ)今日から、下剤止めたって、すぐには死ねないから、安心してください。

とにかく、「何とかしよう」と思ったら、何しようね。

誰も何とも出来ないよ、自分だけが何とか出来るんだよ。自分を変えるのは自分だけなんだからね。なりたい自分になれば良いだけの、とっても簡単なことなのよ。

だって、「何とかしよう」と強く願えば、本当に何とかなるから。魔法だと思って、私の言うこと信じてちょうだい。騙されたと思って、騙されてちょうだい。

ロックなんか、好きじゃないかもしれないけれど、
忌野清志郎さん追悼第5弾、「Jump」です。



キヨちゃんの歌、良い歌がたくさんあるねえ。ホーンがいつも良いよねえ。
キヨちゃん、ジャンプして、あの世まで行くんじゃないよ!!
ジャンプしすぎやで、あんた。

生きてるだけで丸儲けです。ひとりぼっちじゃないんだからね、忘れないでね。
そして、いつでもあそびにおいで。リアルに会ってお喋りしましょうね。

いつも応援ありがとうございます。
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宇宙とつながる

パンを焼いていて思うことがあります。
買ったパンを食べるのと、自然の酵母から自分で焼くパンを食べるのとはぜーんぜん違います。何が違うって、すべてが違います。

もちろん、私がパンを焼き始めたときと違い、今は天然酵母の美味しい石釜で焼いたパンが手に入ります。取り寄せだって出来るし、買いに行くのも良いでしょう。有名なパン工房のパンを頂くこともありますが、なんか違うんです。

手前味噌ってこともあるでしょう。自己満足ももちろんあります。
だけどなあ、そんなんじゃない、もっと根本的な違いがあるんだなあ、何だろう。。。

ちょっと考えてみました。
買ったパンは消費なんです。有名店、個人でやってる知る人ぞ知るパン、無添加、手作り、どれも買ってくるパンは消費です。作り手の思いは様々ですが、そんなことは関係なく、消費の一つの形態です。炊けたご飯を買ってくるみたいなものです。

その点、粉や塩やオーブンは買うのだけれど、自分で育てた酵母で焼くパンは消費とは違うんです。消して費やさない。もっと完結しているの。心の底まで満たされる感じっていうのかなあ。お腹だけじゃないのよ。

例えば、セーターを編むとします。
毛糸を買ってきて編む。
毛を買ってきて、糸を紡いで編む
ってくらい違うんでじゃないかなあ。もちろん、出来上がるものも違います。だって、最初っから「こんな感じにしたいなあ」という目的があって、それはコマーシャルなものじゃなくて、純粋に自分の欲しいもので、その目的が一貫してるから。
お金では買えない値打ちっていうのがこんなところにあるのかもしれません。

パンは特に、酵母という生き物を相手にするので、自分勝手なことはゆるしてくれません。酵母たちの命は奪うのだけれど、彼らときちんと対話することで、良いパンになってくれるんじゃないかなあ。成形して、2次発酵させて、温めたオーブンに入れるまで、酵母とわたしは対等な関係。酵母が気持ちよく呼吸できるように、捏ねたり、丸めたり。おいしくなってね、って声を掛けたり歌を聞かせたり。
生き物だから、酵母にだって意思がある。


健康だって同じことだと思ってます。
薬を飲む、
サプリで補う。
○○を取り寄せる

っていうんじゃなくて、自分で作るの。当たり前の物を使って自分で組み立てる。植物に感謝して、その生命力で助けてもらう。
そういうものだとおもいます。自然療法を試みるのも、酵母を育てるのも糸を紡ぐのも、宇宙(神でもハイパー・セルフでもなんでもいいけど、)とつながる方法の一つなのかもしれません。