「お迎え」問題について考える。

面白い本を読んだ。

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電車の中で笑ってしまうことはよくあるけれど、涙腺崩壊系ってのはマジやばい。タイトルの通り、「お迎え現象」について終末期医療のドクターがいろんな事例を書いた本です。

今まで「お迎え現象」って医療の現場では(見聞することが少なくないのに)「そんな非科学的なこと!それでもお前は科学者か!」とタブーだったんだそうですが、最近は真面目に研究されるようになってきたんだそうです。

父が亡くなる3日くらい前から「あ〜、もうあかんわ。」と言いだしたので、「お迎えきた?おばあちゃん来た?爺さんは?」と聞くと、「あんな奴ら来るかい!お迎えなんか来ないわ!」と言っていたけれど、亡くなる時に着き添いしていた兄によると、「『おかあちゃん』と甘えた声で呼んだ」といったらしい。

状況からおばあちゃんが迎えに行ったらしいが、亡くなる数時間前のことだった。

話はかわるけれど、亡くなる直前には苦しみから解放されると大津秀一先生の本にかいてあったけれど、父も亡くなる半日くらい前から「あ〜、身体楽になったわ〜」と言ってたそうで、どういうメカニズムかよくわからないけれど、脳内麻薬かなにかが出るのかもしれません。

カラダの苦しみから解放されて、親しい人がお迎えに来てくれたら死ぬのも悪くないような気もしますが、さて、「お迎えされて人は逝く」。

この本によると、死の数日前からお迎えはくるようで、だれもいないのに話しをしたり、手を伸ばしたり、帰っていくお迎えの人を見送ろうと歩けないのに歩こうとして転倒したりってことがあるそうで、今までは「せん妄」つまり、病気で頭がおかしくなって幻覚幻聴が出ているから薬(精神科の薬)で対処しているんだそうです。

周りのものには見えないし聞こえないお迎え現象、本人の意識がちゃんとしていたら、家族の人には誰かがお迎えに来たかわかるのかもしれない。父のばあい「おかあちゃん」というのが、母親のことなのか、妻のことなのか、よくわからないけれど、おばあちゃんが迎えに来たって思うと「よかったなぁ〜」と思えるものです。

お迎え現象と心霊現象の大きな違いは、嫌な感じや怖さがなくて、親しみとか、安心とかそんな感じがするところなんだそうです。

お迎え事例の中で驚くことは、子供の時に死んだ息子が青年になった姿で現れて、お母さんには見知らぬ青年が病で死んだ次男だって直感でわかった、っていう話し。

年老いて死んだ人が迎えに来る時に若くて元気な姿だっていうのは記憶の中にその姿があるからわかるような気がするけれど、夭折した人が成人した姿でお迎えに現れるっていうのはとても不思議です。

信仰とか、世界観とかによってお迎え現象も違ったものになるのでしょうが、魂の旅立ちに親しい魂が迎えにきてくれるというのはなとも安らかな気持ちがするのでした。

今目の前に父の遺影があるんだけれど、なんか違うんだなぁ。

6・7日(7日が6回目)を過ぎて、なんとなく父の気配も薄れてきたような気がしますが、父の魂も閻魔大王の裁きを受けて、霊格をあげる修行の旅に出ようとしているのかもしれません。

なんかねぇ、死んだらおしまいのような、その先もまだまだ続くような、なんかよくわからないけれど、一つわかることは、この世にいるってのは奇跡なんだなぁ。

父が亡くなって悲しいとか、半身もがれるとか、そんな感じはあまりないのだけれど、なんだろうなぁ、「あんた、残念やったなぁ。どっかで間違えたんやで。今度はもっと上手にやりや」って思うのです。

「うっさいわい!人の心配せんと、自分のこと心配せい!」って言ってる。
「あほ、あんたのことなんか心配してへんわ!ぜんぶ丸投げしやがって!」

というわけで、オヤジ様のお骨やら位牌やらある部屋で寝起きしている実家暮らしなのです。

オヤジ様に迎えに来て欲しいかって・・・微妙やなぁ。


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家族の協力

今回の父の看取り、それにその後のゴタゴタ(今まさにその真っ最中)でわたしたち兄弟と父母との関係が明白になったことに少々驚いています。

わたしは今でもそうですが、父のことは余り好きではありません。好きじゃないから客観的でいられるような気もします。それでも、義父や祖父母は亡くしましたが、実の親を亡くすというのはなかなか大変な経験だなぁ、と改めて思いました。

わたしたち子供がこんなに協力しあって、父の看取りプロジェクトに参加したことは母にとっても驚きだったようですが、母一人に押し付けられないし、母に倒れられたらもっと大変なことになる、とみんな分かった上で協力していました。(おとうさん、あなたがモラハラであれこれぶち壊すようなことをしなかったら、みんなもっと幸せだったはずだけど、あんたから逃げるために自立を強いられたのはやっぱり良かった。今頃あの世で悔いているだろうと思うと気の毒だ。)

「兄弟みんな仲良しでうらやましい」と言った友達がいましたが、別に仲良しというわけではなく、それぞれが自分のできることを懸命にやった、というのが実情です。

もちろん、その中で、ふだん話さないようなことも話したし、それぞれのパートナーへの理解も深まったけれど、仲良ししている、ということにはちょっと抵抗もあります。

ただ、一人の人に負担を押し付ける、ということがなかったのは良かったなぁ。わたしは母と交代でずっと泊まり続けないといかんか、と心配したけれど、弟が泊まってくれたし、兄も戻ってきて泊まってくれたので、兄が戻ってからは母を泊まりのシフトから外して〜などと思っているうちに容態が変で母を呼んだり、なんてことになってあまり変わらなかったけど。

仲良し家族じゃないんです。仲良ししなくても、必要な役割を無理にならない範囲で、各自ができることをやれば、いいし、やってほしいことを言ったり、聞いてみたりするコミュニケーションは仲良くすることよりも大事なことだなぁ、とあらためて思いました。

同じ親から生まれて、同じ家庭で育った兄弟たちも同じ環境のなかでそれぞれ違った経験をし、違うことを考え、親やおばあちゃんとの関係もそれぞれに違う関係を結んでいて、あらためて兄弟の間の差異を感じたし、それはとても大事なものだと思ったのでした。

仲良しじゃないし、わたしは今でも父のことが嫌い(やっぱ嫌いなんだよ、あの人は)だけれど、好きとか、仲良しだから、ということとは関係なく協力出来たことは良かったし、この先も母の快適な生活のために協力しないといけないことはたくさんある。

それにしても、わたしの連れ合いや弟のパートナーの協力には驚きました。夫は病院に3回も見舞いに来てくれたし、葬式の後、母のサポートのために週の半分は実家に戻るわたしに文句も言わないで、法事には出てくれる。(法事なんかでなくてもいいんだけどね、一人で家にいるのも寂しいらしい。)

義妹は母の寒中見舞いの宛名を印刷してくれたり、わが一族に決定的に欠けている部屋の片付けに素晴らしい能力を発揮して魔法のようにきれいにしてくれるし、5歳の甥っ子はぜんぜん邪魔にならなくて、いい感じにみんなを和ませてくれる。

最近婚姻と別姓について違憲じゃないとかいう判決が最高裁で出たけれど、ファミリーの形態って、名前じゃなくて、パートナーシップだし、婚姻のいいところは親が増えるところだとわたしは思っている。苗字を共有しないと一体感のない家族って、それじゃあ協議離婚した夫婦とその子供とかはどうなるのだ?名前が同じなら自動的に家族の一体感を得られるなら苦労などない。

仲良くする必要などないけれど、互いを尊敬し、尊重し、必要なときに必要な協力ができればいい。その結果仲良くなるのはいいけれど、仲良くなるためにいろいろする必要なんかない。

日本人の人間関係の弱さって、「みんな仲良くしましょうね〜」ってとこじゃないかと常々思っている。みんな仲良く、そんなことできるわけないじゃないか。仲良くしなくてもいい。協力できればいい。

仲良くしないでもいいから、必要なコミュニケーションは取るって考えたら、ソリの合わない家族とのコミュニケーションもそれほど気が重くない。

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5歳児、ばあちゃんの手伝いをして、古い伝票を処分するの図。

あれ、なんか野党共闘の話しみたいだな。


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最期は体温調節が難しくなるらしい。温亀に助けられる。

さて、ターミナルケアの話題もそろそろ終わりが近づいてきました。

病室はだいたい25度くらいの設定になっていて、個室ですから、室温を上げたり下げたりもできるようになっています。
医療スタッフの制服は薄いもので、25度くらいで半袖か、人によっては長袖な感じでした。
12月は暖かかったのですが、薄いセーターなど着ていると病院では暑くて、病室に半袖のTシャツを置いておいて、病院に行ったら着替えていました。

父はといえば、病院から借りているパジャマ。パンツはおむつ、パジャマのズボンは嫌いだから着ない、という自由な感じで過ごしておりました。
んで、掛け布団が2枚。

普段はだいたい暑いといって、布団を掛けずに、バスタオルを掛けただけ。それでも暑がって、パジャマの紐(作務衣みたいに打ち合わせて左右を紐で結ぶ仕様)を自分で解いて前を全開にしたり、特に最期の3日くらいは脱ぎたがっていましたが、暑いのか、着物が身体を覆っているのが不快なのか、多分両方だったんでしょう。
あんまり暑がる時はうちわで扇いだりもしましたが、盛大に暑がった後、やっぱり「寒い」と言い出すわけで、布団を一枚余分にもらってきて3枚掛けたりってこともありました。

なんか、体温調節がうまくいかない感じで、手足は冷たいのに暑がったり、「暑い、寒い」の要求に合わせて、布団を掛けたり、はぐったり。付き添いは結構忙しく、ゆっくりものを考えたり、本を読んだりも出来ず、BigIssueを来る途中に買って、しみじみ読んだりしていました。

こういう時にビッグイシューは本当にいいなぁ、と感心しました。

暑い寒い攻撃は、夜になると一層激しくなり、寒がりかたが大変で、温亀は役に立ちました。しばらく寒がった後はまた暑くなるので、すぐに不要になるのですが、肝臓の近く、つまり、右の脇腹あたりに置いてあげると気持ちよさそうでした。

病院はあんなに暑くてわたしはTシャツ一枚でも暑いくらいだったのに、「お前寒ないんか?恐れ入るなぁ、寒いからどないかしてくれや!」と父が大騒ぎした時には本当に参りました。

さっきまで暑くて掛け布団をめくっていたと思ったら寒い寒いで、温亀を抱かせたらピタっと収まって少し眠るので、温亀にどれだけ助けられたかわかりません。

寒がるのはわずかな時間ですが、その時にはどうにも寒くて仕方がない様子でした。そんな時には熱が上がってるのかなぁ、と想像するのですが、体温の変化はそれほどあるわけではなくて、なんとも不思議な感じでした。

それにしても、温亀のある有難さ、父も「石、温めてこいや」と、石とか亀とか勝手に呼んでいましたが、父の最期の日々に付き添った温亀でした。

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脚のマッサージをしてあげると嬉しそうだった。脚はいつも冷たかったし、温かい手で触れれているのが心地よかったようです。母にはベッドに添い寝したらいいと何度か言ったのですが、照れくさいのか、いやなのかはわかりませんが、「こんな狭いところじゃ寝られへんわ!」と嫌がっていたけれど、ベッドに登って脚をさするくらいのことはしてくれました。テレビを観るのにいい位置で、布団に寄りかかれて、病室では最高のポジションでもありました。

しかし・・・寝巻きのズボン履いてないので間抜けですが、痴呆老人ではありません。

寒い夜には温亀は手放せません。ほんと、温亀、ありがとう。

温亀については、温亀カテゴリーを見てね。→http://penguinkitchen.blog54.fc2.com/blog-category-34.html

父が末期ガンだって聞いて、びっくりして温亀と温平板を持って行ったのは11月初めだったんだなぁ。あげたらすぐに愛用し始めて、ほんとに愛用していたなぁ。父が生き返ったわけじゃないけど、気持ち良かったんだろうなぁ。

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長期断食と病気の最期。

父は10月ごろから極端に食が細くなって、一度の食事で本当にほんの少ししか食べなくなって母を困らせていました。

そうなったら、もともと嫌いなものは食べない。んじゃ何が好きって・・・永◯園のお茶漬けのりだったりするわけで、人の嗜好などそんなもんで、最期に食べたいものなんて、ごくありふれたツマラナイ食べ物なんでしょう。

11月の半ばにわたしが行った時、(入院の2週間前)自分用にブロッコリーのパスタを作ったものを少し分けてあげたら、とても喜んで食べたってことがあったっけ(ちょっとだけ)。
帰る前に作っていけというので、作ったら、父がほんの2口くらい食べて、残しているので母が食べてしまったら、父が怒って、帰りの車の中にいるわたしに母が慌てて電話を掛けてきて作り方を聞いたっていうこともあったっけ。

とにかく、入院前も半人前どころか、一口、二口しか食べない。ただ、回数は多かったかなぁ。でもいくら老人とはいえ食べる量が少ないのは気になるほどでした。

入院後、ますます食事の量は減って、最期の一週間は病院のおかゆも付き合いでほんの2さじくらい食べるだけ。スプーンで食べさせるので、分量も5ccくらいだったかもしれません。
病院の食事はとても美味しいのですが、まったく食べないこともあったし、お茶や水もほんの一口飲む程度。

これじゃまるで長期の断食みたいです。

ところで話は変わるけれど、子宮筋腫をなくすために2週間の断食をした友人がおりました。彼女は、ご両親とお連れ合いの4人で暮らしていたので、自分は断食しながら家族の食事の準備を三度三度きちんとしての断食でした。

断食の後にあれこれ根掘り葉掘り聞いたというか、彼女はとても詳細に説明してくれる人なのですが、最初の3日くらいはとても辛いのですが、それが過ぎたら食べないことはなんともなくなって、一週間過ぎたあたりからと〜っても爽やか〜で爽快になるんだそうで、食事の準備もまったく苦にならず、デザートまで作るほどだったんだそうな。

どんなに気持ちがいいかというと・・・

「草原で風に吹かれている感じ」

「即身成仏するボンさんってこんなにいい気持ちを味わってるんだわ」と語ってくれました。もちろん、断食があけてからの回復食が大変なのですが、食べない時の気持ち良さというか、なんともハイな感じって、一日の断食でもハイになるのでわかるような気がします。

んで、父の話ですが、食べない、ちょっとしか飲まない。でもちゃんと出るものは出てる、という状態。「ご飯きたからちょっと食べようね」と無理に食べさせなかったらもっと食べなかっただろう。

父の好きなプリンとか、美味しいフレッシュなジュースなども用意しなかったら、もっと食べなかっただろうし、食べかたを見てても、浮世の味を味わってるという雰囲気で、栄養とか、代謝はまったく関係ない感じでした。

で、栄養失調でガリガリになるかといえばそうでもなく、顔がほっそりしておばあちゃんによく似ててきて「お父ちゃん、おばあちゃんによぉ似てきたなぁ〜」というと「そぉか〜?、おまえもお母さんによぉ似てきたでぇ〜」と言ってたっけ。

寝っぱなしだから、脚も細くなったし、背中の肉もなくなって、お腹は腹水&ガンでタプタプはしていたけど、ひじや膝の関節が飛び出すような痩せかたはしていなかった。

今から思えば、長期の断食断水をゆるやかにやっていたみたい。意思で断食断水をしたというんじゃなくて、身体が水も食べ物も求めなかったから欲しくなかったという感じだった。

食べられるようになったらまた元気になって家に帰れる、と希望を持った家族もいたけれど、母はわりと早い段階で、無理に栄養を入れて苦しみを長引かせることはない、と思っていたみたいだった。

食べなかったことで父の最後は穏やかだったし、まったく食べないわけじゃないことで、家族も安心して看病が出来たように思う。ぜんぜん食べない人を看病するのはものすごく辛いだろう。断食断水の最期を迎えるにしても、ちょっとくらいは食べたり飲んだりしたほうが親切だなぁと妙なところで父は優しさを発揮するわけで、やっぱり「そこ、違う!そうじゃない!!」という感じがする困った人なのです。

そういえば、お見舞いに来る人が栄養の点滴しないの?と聞く人いたなぁ。自分が死ぬ時、食べたくないのに点滴で栄養入れられたいか、お腹に穴をあけてそこから胃に甘くてドロドロの栄養を入れてほしいか、そんなことも考えないといけないわけです。

食べない人を見送る。見送る側にも覚悟がいるし、それを支えてくれる医療スタッフがいたってことは、もしかしたらすごいことんじゃないかしら?とこの文章を書いていて思いました。

つーか、病院は儲からないよねえ。なんか、ほんとにありがとう、淀キリ。

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淀川キリスト教病院

父が入院した淀川キリスト教病院(なんでも約す大阪人に淀キリと親しまれている)は、日本で最初にできたホスピスです。

淀キリは3年前に建て替えられて、とてもきれいな病院だった。4階にチャペルがあって、4階以上は吹き抜けになっていて、エレベーターホールにある椅子とテーブルが置いてある面会スペース(?)からチャペルが見下ろせるようになっています。

んで、朝、昼、夕方にミサがあって、病室のスピーカーから賛美歌や、牧師さんのお話が聞こえるようになっています。それがまた自分の好きなもの以外は嫌い!という子供っぽい父の機嫌を損ねるのですが、ちょうどクリスマスシーズンということもあって、なんとなく厳かな雰囲気が漂っていました。

病院が建て替わって新しいということもあってか、とても居心地のいい病院で、病院特有の気が重くなるような雰囲気がありませんでした。

淀キリというとホスピス!と知れ渡っているので、見舞いに来た親戚は「ここ、あの有名な病院やろ。やっぱり、あれか?麻薬であの〜その〜」と、ホスピスと緩和ケアとペインコントロールと安楽死をごっちゃにしている人が少なくありませんでした。

淀キリはホスピスもあるけれど、普通の病院なので、普通の病気の人もたくさん入院してらっしゃいます。点滴のスタンドを持った人が売店で買い物をしてたり、入院患者さんも病院の中で普通に生活していらっしゃいます。

治療をしないということに抵抗を感じる人がいらっしゃるかと思いますが、医者である父は自分の検査結果の数値と写真を見て、即座にどういう状態かわかっていたんだと思います。治療について、あれやれ、これやれ、とは言いません。

痛みがほとんどなかったのですが、なくなる2日前の夜、「右の胸が痛い」と言い出しました。

「これは狭心痛や。うー。痛い!」

え?右やろ?あんなぁ、お父さん。心臓って左にあるんとちゃうのん?

「わしゃそんな難しいこと知らんわ」
「心電とれや」とナースに命令する始末。

とまぁ、こんな具合なので、ナースも苦笑いしながら「あんまり痛いようなら鎮痛剤出しましょか」と言ってくださったけど、そのまま何もせず、翌日には「そーいえばそうやなぁ、もう痛ないわ」とケロっと。

右足が痛いとかも言ってたし、足の裏がうっ血して黒ずんでいたりしてきて、きっとドクターはそろそろかなぁと分かっておられたのではないかと思うけれど、看護しているわたしたちにはお迎えもまだ来ないみたいだし、しんどい、もうあかん、と弱音を吐くほど元気なのだからまだ先だろう、年越すやろか?と思っていたけれど、逝く時は結構アッサリとしたものでした。

わたしの予定では(ってどんな予定や?!)腫瘍が破裂してわ〜ってなって、あ〜ってなるシナリオや、錯乱&昏睡してみんなで付き添っているうちにさようなら、などと思っていたのに、普段通りの患者生活をしているうちにあっさりと亡くなってしまいました。

なんかなぁ、生と死の境い目ってどこにあるんやろ?と思った父の最期でした。

末期ガンがわかっていきなり行ってもなかなか緩和ケアには繋がれないそうで、父の場合、わたしの受け売りがあったことと、病院とは提携病院ということでつながりがあった上に知り合いの先生もいたので初診で即入院できましたが、まぁそれは業界人ということで運がいい部分はあったと思います。

普通は病院やお医者に縁がないと感心もないものですが、健康な状態のときに病気になった時はどんなケアをされるのか、その場合自分はどうするのか?どんな治療(代替治療も含めて)を選ぶのか、病気について、自分の身体について知ることは、生き方を選ぶことでもあるなぁ、と思います。

近所の人に「淀キリに入院してるねん」というと、「そぉ〜、あそこは誰でも入りたい病院や、ええところ入ってはるわ」と言ってくれる方もいて、病院の周囲にはな〜んにもないけれど、家からのアクセスも良く、新大阪からも徒歩15分、タクシーでワンメーターほどで、通院ストレスもなくて、通いやすいっていうのは、家族にとってもありがたいことでした。

医療スタッフにより家族のケアもある病院ですが、病院の雰囲気や駅からのアクセスが良いことも付き添い家族にとってもお見舞いの人にとっても大事なことだなぁ、と思ったのでした。

業界人とはいえ、いいところに入院したなぁ。親父、やるなぁ〜。


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父の入院生活(医療チーム編)

家族が呼ばれて医師からの説明があったのは、父の入院後5日目。
入院した翌日、胆管を通す内視鏡手術をし、その2日後の肝臓検査の数値は思わしくなかったため家族を呼んで説明する必要があったわけです。

胆管はガンに押されて詰まってしまって黄疸が強くなってきたので、胆管を通したら改善するかも、という目論見の手術だたわけですが、胆管は通って胆汁はちゃんと肝臓に流れているのに、肝臓の数値が改善しないということは、肝臓がもうかなりいっちゃってる、ということだそうです。

説明は主治医の消化器内科のドクター、それに父の知り合いでもある呼吸器内科のドクター。それに担当ナースと家族ケア専門の婦長さんが参加なさって、母、弟、それにわたしが話を聞きました。

経過の説明と、CT画像を見ながら丁寧に素人に分かるように説明してくださいます。

で、家族に相談というのは、
「あと1週間と告げるかどうか」

「このまま一般病棟にいるか、ホスピスに入るか?」

でした。

この病院のターミナルケアは、父の場合4人のドクターがチームになって治療方針を立てるんですが、その中に一人緩和ケアのドクターが入っていて、一般病棟にいながらホスピスと同じケアが受けられるので、患者さんは「わし、もうあかんねんなぁ」と思わせない効果があるように思いました。

さて、告げるかどうかですが、わたしは大津先生の本を読んでいたし、ガンの最後が早いというのは義父の例で知っていたので、ドクターが一週間と言った時には長くて10日と覚悟は決まりました。

母はこの時点でまだ入院すれば正月は家に戻れると甘く考えていたようですが、ドクターの話しで腹をくくったように見えました。

弟は告知はちょっと待ってくれ、という感じでしたが、だいたい男性のほうが諦めが悪いようです。

チームになってる4人のドクターのうち、一人の方とはお会いしませんでしたが、わたしが当直をしている時に緩和のドクターが回診に来てくれて、いろいろ聞いてくれたことがあったし、薬剤師さんまで回診に来てくれたこともありました。

ふだんは主治医のドクターが一日に何度か様子を見にきてくれて、家族の愚痴まで聞いてくれました。

担当のナースは家族一人一人と面談してそれぞれの心配や不安、家族との関係などの話しを聞いてくれて、家族のケアにまで心を配っているところも大津先生の本の通りでした。

家族の心配担当の婦長さんはちょうど父が不機嫌でわたしにさんざん喧嘩仕掛けて、ナースにも当たり散らしていた時に(たまたま)来てくれて、色々と愚痴を聞いてくださいました。(その後はわたしたちがとくに混乱してないのでもうケア不要と思ったのか、会ってません。)

治療ったって痛みのない父にはステロイドの点滴と、かゆみ止めのハッカ水以外なーんにんもしないわけで、家族によっては、「食べないから点滴で栄養いれてください」という場合もあるだろうけど、そんな時はどうするんだろう?

なんか今から思い返すとナースやドクターが家族のどうでもいいような愚痴を聞いてくれたことがどれほど良かったかわからないなぁ、父の看取りと一緒にわたしたちもケアされていたんだなぁと思うのでした。

一般病棟だったから、ナースのみなさんは一般病棟のナースなわけで、ターミナルの患者さんと、元気になって家や社会に戻っていく患者さんを一緒にケアしているわけで、考えてみたら自然なことなんだけど、一歩先行ってる感じがしました。

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弟の当直と交代して家に帰る。病院から家に帰る時は「んじゃ、いってきます〜」家から病院に来た時は「ただいま〜」と挨拶していた。

病院に行くと部屋に誰かいて、とくに週末は賑やかでしたが、父がいて和気あいあいというのではなく、父とはだいたい緊張関係で、一日に一時間ほど手がつけられないくらい攻撃的になって大変だった。
今頃あの世で「あんなこと言わねばよかった、あんな意地悪しなきゃよかった」と悔いていることだろう。

悔いのないように生きるためにも身近な大事な人との関係を大事にしようと思った。
どこまでも反面教師なオヤジ様です。


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父の入院生活(看護&病院食編)

病院の付き添いったって、子供のオムツさえ変えたことないわたし。こんなわたしでも夜の付き添いが務まるだろうか・・・オヤジ様の暴言に耐えられるだろうか?

色々な不安はあったけど、排泄関係は「すぐ呼んでください。」とナースが言ってくれたので、始めの何度かはナースにお願いしていたけれど、尿瓶を使うくらいのことはすぐに出来るようになった。なんでも学ぶもんです。

父は恥ずかしいという感覚がないらしいので、世話をする方も気楽なものでした。

ナースコールをしなくても、時間を見計らってナースが様子を見にきてくれて、歯磨きや着替えやシーツの取り換えなど適宜やってくれた。多分普通の人ならずっと付き添う必要はなかっただろう。

ナースたちは「なんでもやるので言ってください」とおっしゃってくれて、本当に気持ち良く色々してくれたし、父が機嫌悪くて大変な時にはわたしは避難して、ナースに世話をしてもらったこともあった。

担当のナースが決まっていて、もちろん交代はあるけれど、メインで診てくれるナースが決まっているのは家族にとっても心強いことだった。帰る前休みの前やにはかならず挨拶に来てくれて、交代のナースも名札を見せて名前を言って挨拶をしてくれた。

ナースの名前を何人も覚えるなんてことはあまりないんじゃないかと思うけれど、これはきっと病院の方針だったんだと思うけど、皆さん本当に素晴らしいプロフェッショナルでした。

きれいな人が多くて、「ここの看護婦はべっぴんばっかりやなぁ〜」と父は喜んでいた。別に顔を採用基準にしているわけではないだろうけれど、きちんといい仕事をする人はいい顔になるもんだと思う。きれいな人たちに気持ち良く世話をされるのもなかなか良い最後だっただろう。

小さい頃から人に世話されることに慣れていた父は結構おとなしく看護を受けていて、シーツの交換や寝間着の交換にとても協力的だった。

看護の話ではないけれど、病院の食事は正直驚いた。夕食が6時半くらいに配られる。きちんと温かい料理が出てきて、プラスティックの食器に盛られた病院食ではあるけれど、毎日メニューが工夫されていて、お料理を作る人の心がこもっているのがわかる料理だった。病院の夕食は下手したら4時半くらいに配られるところも少なくない。夕食を6時過ぎに出すというのは大変なことだと思うけれど、それをきちんとやる病院だった。

本当に食べられないで返してしまうのが申し訳なくて、一度名前を書いた紙の裏にお礼のお手紙を書いてしまったほどでした。

病院のスタッフの働きがどれほど励ましてくれたかわかりませんでした。ターミナルケアではなくて、普通の病気で入院して家に帰っていく人たちには本当に元気になるための食事だったと思います。


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12月の料理教室は個人的な都合でキャンセルにさせていただきました。みなさま、ごめんなさい。

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父の入院生活。(薬編)

さて、いよいよターミナルケアについて書いてみようと思います。
新年早々ターミナルもないもんですが・・・

大場久美子さんが自宅でお父様を看取ったというニュースを最近読みました。壮絶な介護だったそうです。

うちの父も壮絶でしたが、まったく意味が違って病気で苦しんでいるところを見る辛さはほぼありませんでした。

どんなケアだったのか。

投薬は朝ステロイドの点滴が一本。
わたしが付き添いをしていた時には食後に一錠薬を飲んでいたけれど、あれは消化剤だったらしい。この消化剤を飲ませたのは一度だけで、ほぼ食べなくなってからは消化剤も不要ってことだったらしい。
そして、夜はよく眠れるように睡眠薬。後半は夜9時過ぎくらいに点滴で睡眠薬を入れてました。日頃愛用していた薬の点滴バージョンです。

父は薬が大好きで、「いつも家で飲んでいた薬を持ってきてください」と看護婦さんに言われて持って行ったら看護婦さんがびっくりしていた、というくらい漢方も含めてあれこれ飲んでいました。

それが睡眠薬以外全部なくなって、ステロイドだけになった。

父のガンは膵臓頭部のガンが始まりで、それが主に肝臓、それから、胃や肺にも転移があったということで、家では肺がんの人特有の嫌な咳をしていたけれど、入院してからその咳がまったくなくなった。

大津先生の本fc2blog_20151109221008d28.jpg

「余命半年」に出てくる通り、ステロイドの注射だけでガンのいろんな辛い症状が消える。本の中には肺の水が抜ける話が出てくるけれど、肝臓ガンで腹水もタプタプと溜まっていた父も腹水を注射で抜くということはなく、お腹もパンパンにはならなかった。黄疸も出たり消えたりで、ちょっと黄色いなぁ、というくらい。

「ステロイドで肺の水も抜けるんだって」と本の受け売りをして、父に淀川キリスト教病院に行くように言っておいた。
わたしのアドバイスを聞いたとは思わないけれど、たまたま父の仲良しだった同級生の甥がそこで勤めていて、行きやすかったというのもあったらしい。父はどの病院に身体を預けるか迷ったんだと思う。緩和ケアなど「麻薬を打って楽にしてもらうところ」くらいにしか知らなかったようだけど、いくらか考慮してもらえたようで本当に良かった。

緩和ケアはよく効いたと思う。
普通の人ならあの状態だと電話を使っていろんな仕事や後片付けができただろう。2週間命が伸びた(病気による辛さが取れてて普通に思考できる時間が伸びた)なら、本当にいろんな後始末が出来るはずだけど、父はそういうことに時間を使わず、しつけので来てない5歳児のように振舞っていただけだった。

ガンの最後は身体が痒い。
黄疸が出ると痒みも出るんだそうで、痒みに対してはハッカの入ったオイルを病院で調合してくれて、これを塗ったらスースーして痒みが緩和されるようで、お風呂の後、クリーム(わたしが自宅から持って行ったiHerbで買ったサンプル品)を塗って、ハッカ水を塗っていた。

だから、腕には点滴を入れるための針は入っていたけれど、点滴は30分ほどを1日2回だけ。ガンによる痛みはなかったけれど、歯が痛いと言うので、普通の鎮痛剤を時々飲んでいただけで、麻薬系の鎮痛剤は結局使うことはなかった。

わたしが初めて当直した日、緩和ケアのドクターが回診に来てくれて、辛いことはないか?と聞いてくださったことがあったけど、緩和ドクターは一度来ただけだった。

緩和ケアが効いているというのは父もわかっていたようで、最後の頃は「緩和ケアっておもろいなぁ。ワシ知らんかったわ。わしもやってみよかなぁ」とまだ医学への興味を忘れないところには驚いた。父は緩和ケアのドクターには向いていたんじゃないかと思う。病気を抑制するんじゃなくて、病気による辛さをケアして生活の質を上げる医学はやりがいがあっただろうと思う。

あんなにたくさん薬を飲んでいたのに、最後はステロイドだけだった。今まで飲んでいた薬の害が消えて楽になったってこともあるかもしれないけれど、父の様子を見ていると、大津先生の本に書いてあるそのままだった。

亡くなる前の日、ドクターの回診の時に「ダルさが辛いようなら、もっとお薬を増やすし、痛みが辛くなったら麻薬系の薬も考えます」とおっしゃってくださったけれど、結局薬を増やす前に逝ってしまった。「身の置き場のない倦怠感」をどれほど我慢して耐えていたのかはわからないけれど、痛みはほぼなかったようだった。

ダルさのケアはステロイドを増やすってことだろう。痒みのケアのための薬(?)がちゃんと用意されていて、看護婦さんが塗ってくれるのには驚きました。これが淀キリか!と。

大場久美子さんも大津先生の本を読んでいたらお父様もそんなに苦しまずに済んだだろうにと思うとお気の毒です。

薬をほぼ使ってないので、入院費もほぼ部屋代。痛みのケアをしたらもっと薬代がかさむのかもしれませんが、通常のガン治療を考えたら、緩和ケアはお財布にも優しいのかもしれません。

問題は、良い緩和ケアにアクセスするのが簡単ではないということです。
広島にもホスピスがあるけれど、淀キリはもう一歩先をいってました。

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病院に付き添う日々。

長らくブログの更新をお休みしてしまって申し訳ございません。
やっとパソコンも持ってきてもらい、ブログを書く時間もできました。

ご飯をちょっとしか食べずに家でゴロゴロしながらも仕事をしていた父、どうにも辛くなって病院に行ったら即入院となったのが今月初め。

ちょうど展覧会なのですぐには手伝いに行けないけど、なるべく早く行くね、と言っていたら、8日にはドクターからの説明を聞きに来て欲しいと言われ、予定を繰り上げて東京から大阪に行く。

病院は新大阪からさほど遠くなく、荷物があってもタクシーで行けて便利で助かります。

その日は一度広島に戻ったけれど、家を片付けてちょっと準備をして実家に行って母と付き添いの交代&母のいろいろな手伝いのためにずっと居つづけ。
連れ合いが仕事が休みの日に時間を見つけて通ってくれて、わたしの着替えやいろいろを持ってきてくれて大助かり。

弟も病院泊まりのシフトに加わってくれて、兄も帰ってきて、休みの日の病室はまるでお正月のように家族全員集合して看護師さんがびっくりするほど。

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父の唯一の孫@5歳がいるとなんだかとても和む。子供の力ってすごいなぁと改めてびっくりしました。
甥っ子が描いたメイプルシロップの作り方を弟が壁に貼ったので、ラムネのセロファンや画用紙で折った鶴なども一緒にディスプレイしたら、病室が一気に暖かくなってちょっと驚いた。

父は家族と医療チームの予想を超えて持っていて、担当の看護師さんは「そりゃもうご家族のチカラですよ!」と力説していたけれど、わたしたちは自分たちに出来ることをやっているだけだ。

そんなわけで、ブログの更新はすっかりご無沙汰しておりましたが、わたしは元気にしています。
友人たちが「どうか悔いのないように」と言ってくれるのですが、想像以上にお世話しているので、悔いの残りようがありません。
展覧会が終わったタイミングでなければ、連れ合いの理解と支援がなければ家を空けてこんなに長期に実家に戻っていることもできません。

これもきっと父の人徳なんだろうなぁ、と父に命を救われた人たちがお見舞いにみえるのを見ていて思うのでした。

父も悔いのない人生だったと思うけど、あの世に行くのはなかなか大変で「こんなしんどいとは思わへんかった」と言ってます。

家族の誰かが付き添い続けることができるのも神の采配、父は気が小さいので一人でいるなんて出来ないんでしょう。暴言、わがまま、悪態は相変わらずですが、勢いがなくなってくるのも寂しい気がするのです。

健康法などにハマると病気になったり死ぬことは負け、間違い、ダメなこと、などと考えがちですが、健康法で不老不死になるわけではないのですから、どう死ぬかということも健康法の延長として考えておくことも大事だと思うし、とてもいいレッスンを受けている日々なのです。

またターミナルケアについても書いていきたいと思います。

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