喪中だけれど、お正月です。

父が入院前に「ぺんちゃん、またおまえ正月は料理持って来るやろ」と言っていた。
実家の片付けもあるし、母の様子も心配なので、買い置きしてあった材料でまた正月料理を作って持って行った。

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元旦は弟一家が来てくれて、父のいない初めてのお正月。うちの正月料理のメインはお煮しめ。後は「きずし」と呼ぶ〆鯖。黒豆にきんとん。ごまめに数の子。

母は妙にリラックスしていて、楽しそうに自分の若い頃の話しや、結婚当初の話しなどをして母なりに父を偲んでいる。一時期は手続きのアレコレを心配してパニックっぽかったけれど、兄がかなり整理してくれて母もだいぶ落ち着いた。

ほんとうに、20日も入院していたのに死ぬのはあっけなく、家族は病院の付き添いに全力で家の片付けなど手に着くはずも無く、葬儀が終わって父の祭壇を作るためのスペースを作るのに家族総出で丸一日掛かってしまった。もっとやりようがなかったか、とも考えたけれど、どんなことより病室に父を一人にしないことが大事だったし、きっと間違ってなかったと思う。

お正月は手続き関係も停止してるし、初詣も行けないからガサガサ片付けをする以外やることがないので、夫を誘ってランチに出かける。

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母からもらった着物。母のお気に入りの一枚だったらしい。こんな赤黒なんて!と思ったけれど、着てみたらかわいいやん。

去年連れ合いが友達と正月ランチをしたお店、「なかなか良かったから次は一緒に行こう」って、心斎橋のイタリアンにいつ行くねん!と思ってたけれど、こんな風に大阪で時間がポッカリ空くこともあるのね。

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心斎橋の北のほうでご飯を食べて、ブラブラと難波まで歩いて、母の「なんか美味しいおやつ買ってきて。うーん、あんこ系」というリクエストに応えるために寄ってみたら、やっぱり休み。

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地元に戻って回転焼きを買ってホカホカと持ち帰ったのでした。

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暮に買ったタイ1尾、冷蔵庫で寝かしてしまう。

三が日が明けたら普通に月曜日で、連れ合いも仕事に出掛けてしまい、年末からの嵐のような日々がポッカリと穴が空いたみたいで、なんだか身の置き場がない感じがするけれど、今日から普通の日なんだ、と自分に言い聞かせて普通に戻ろう。

正月に魚と料理を持って実家に帰るのは両親が正月にダイビングに行かなくなってからの恒例になっている。
魚はまぁ、広島で買ったほうが大阪よりも安くて質がいいからで、生の魚からきずし(シメサバ)なんて大阪じゃできない。

いつも買っていた魚屋さんが廃業してしまった様子で、今年の魚を買うためにご近所をぐるぐる魚屋さんを探し回った。そんな風に苦労して手に入れた魚、今年のお刺身はタイだぞ!と一本買ったのはいいけれど、〆た魚だけは忘れずに持って行ったのに、鯛を冷蔵庫に忘れたまま出掛けしまった。

あ〜ぁ、せっかくの天然の鯛がすっかり熟成してしまった。湯引きにでもして茶漬けにするか(どれだけ食べるねん?)と三枚卸しにして、フィレは湯引きに。

骨のほうは、同じように湯引きにして、氷水に漬けて、鱗を洗って・・・さて、どうしよう。

湯引きにしたフィレも時間が経っているので鯛の刺身のコリコリとした食感はない。カルパッチョにしようかなどと考えているうちにタイでエビやシャコの生をマリネにする料理があったことを思い出してソースを調合する。

んじゃ、魚の骨のほうはトムヤムスープにでもしよう。

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正月用に釣られた鯛もまさかトムヤムスープになるとは思わなかっただろう。作ってるわたしが思いもしなかったんだもの。


しかし、びっくりするほど美味しい料理ができて、きっと冷蔵庫で放置された鯛も浮かばれたことだろう。美味しい鯛よ、タイ料理にもぴったりだったよ。ありがとう。
ごちそうさまでした。



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全ては最善。

父の病気がわかったのは10月末ごろ。

母は「不覚にも全然気がつかなかった。食が細くなったとは思ったけれど、それほど進んだ病気だとは思いもよらなかった」と何度も話していた。

わたしが父の病気を知ったのは、弟が電話で知らせてくれたから。11月の半ばには大阪に行く予定があったので、父はその時に言えばいいから黙っておけと弟には言ったらしいけれど、弟は電話してくれた。

個展から帰ってきたばかりのことで、弟の電話の後、たまたま出勤する用事のなかった夫と日帰りで実家に行ったのでした。11月の初めのころだった。

桜は無理だろうけれど、お正月は家で過ごせるか、とその頃には思ったけれど、その後は早かった。12月3日に入院して、ドクターから「あの状態でよく歩けましたね」と驚かれたけれど、その後数日トイレにも自分で行っていた。わたしが行った8日には母に支えられてトイレに行ってたけれど、10日に行った時にはもう自力でトイレに行くことはなくなっていた。

父の入院がもっと早くて展覧会の前だったらわたしは手伝いに行けなかっただろう。展での滞在が終わったので父の付き添いに集中できた。

勤め人の弟にも当直の交代をしてもらうのは気の毒だったけど、なんとも得難い経験なので、弟にも病院に泊まってもらって、彼は週に一度会社を休んで平日の当直もしてくれた。これで私はもちろん母もどれだけ助かったかわからない。

父の病気で長年家に戻っていなかった兄が戻ってきて、父とはいろいろゆっくり話したようだった。これも父の病気がなければ叶わなかったし、兄も帰る切っ掛けがなかっただろう。

22日の早朝父は逝った。

正月休みに入る前に葬儀なども済ませることができたし、年末年始の休みに突入したことで、役所や金融関係の手続きについて、ゆっくり考えることもできたし、手続き自体ができないので良い休息になった。

入院から20日ほどもったので、十分にお別れすることもできたし、お見舞いの人にも来てもらえた。お金の準備をすることも出来たし、葬儀についての準備も最低限だけど出来た。

家の片付けまではできなかったけれど、交代で付き添いをすることに全力を注いだから、看病疲れで倒れる人も出なかったし、何より誰もが思い残すことなどないほどお世話ができた。これは葬儀の後の祭壇がつくれないとか、お供えのご飯が炊けないとか、そんなことよりも重要だったと思う。

ガンだったことで、父は家などの財産を介護施設に入るために手放すこともなく残すことができた。
末期で手がつけられない状態だったので、ガン治療をして苦しむこともなかった。
苦しむ姿を見なかった家族は幸いだった。
医者以外のことで余生を楽しむ気がなかった父は入院の前日まで診療を続け、生涯現役を貫くことができた。これは驚くべきことで、事故や事件に巻き込まれずに生涯現役というシナリオを考えるのはなかなか難しい。

父のいない実家でお正月を過ごして、タバコの煙害もない、テレビの爆音とチャンネルガチャガチャもない、タオルもタバコ臭くない快適な実家がほんとうに、父はもういないんだと寂しい気持ちもないことはなかった。

母とあれこれ話していたら、ほんとうにこれ以上ない!というほど最善のタイミングで最高のシナリオだった。

「なんにも心配することあらへん。ちゃんとぜんぶウマイこと行くって言ったやろ」と言ってるようだ。

この世で起こることは最善のことばかりだ。

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生涯現役の人を亡くした場合のお金の問題。

さて、生涯現役は大変結構なことだけど、残された者には後始末があります。

一家の大黒柱が亡くなった後、お金が降ろせなくて、相続の手続きが済むまで生活費にも困る、というはなしを聞いたことがありますが、父が入院した時に何人かの人が母にお金を移すようにとアドバイスしてくれたそうです。

ここまでは知ってた話なんですが、実際にそばで経験(わたしは娘なので当事者ではない。)したら深刻なことがいろいろあったので、シェアしたいと思います。

誰にでも起こることだし、家計の口座を家族それぞれで管理してるって家庭は少ないだろうし、とっても重要な問題だと思ったからです。

まず、貸金庫。
名義人が死亡したら、金庫は開かなくなります。実印がないと手続きできないのに実印が出てこないってことになっちゃう。

連れ合いを長い闘病の末になくした叔母は自分名義の貸金庫を借りてそこに重要書類などを移しておいたと言ってたけれど、母の場合、自分名義で借りられる金庫が付き合いのある銀行にあいてなく、父が死亡してからの名義変更となったので、貴重品の置き場に困りました。
これ、名義人が事故などで亡くなっちゃった場合どうなるんだろう?いろいろ法的な書類を揃えて開けてもらうんだろうか?

そんなわけで、病院の付き添いをしながら、銀行に行ってお金を移して、貴重品の置き場に心を配って、しかも家は留守がち!というかなり危険な状態が続きます。大変なリスクです。

お葬式関係。

人がなくなったら、遺体の輸送や火葬など、めちゃくちゃ頑張って自分でできることは自力でやっても最低5万円くらい掛かるんだそうです。もちろん、お金を掛けたら青天井です。

最近では葬儀屋さんの積み立てなどがあって生前から準備をする方もいらっしゃいますが、そうでない場合は葬儀屋さん選びから家族は考えないといけません。義父の場合入院三日でなくなったので、事前に葬儀屋さんと相談して見積もりしてもらう、なんて余裕もなく大変だったそうです。まぁ、病院が紹介してくれるので心配はいりませんが、言われるままにするよりは自分で選べる方がいいですものね。

今回は地元で古くから営業している大手の葬儀社さんにお願いしました。駅から近い、家からも車で15分ほどでアクセスの良さが良かったです。すぐ近くにスーパーがあるのも助かりました(あ、お金の話から脱線しちゃった)

で、支払いです。

お花代、通夜振る舞いや精進落としの料理代は即現金で支払い。
お坊さんへのお礼、お車代、戒名代も即現金で支払い。

つまり、通夜葬式の間結構現金が必要です。それをあの女性の小さな黒いバッグに入れておくのは危ないわけで、どうするねん?わたしは着物を着ていたので、母から預かったお金を帯の中に巻き込んでおりました。

葬儀が終わってからですが、葬儀屋さんへの支払いも即現金(振り込みかどうかは聞いてないけど、すぐ請求が来たらしい)

つまり、お亡くなりになったら葬儀のために、葬儀の形態や規模にもよるけれど、6〜7桁の現金が必要になるんです。もちろん、生命保険などが降りるのは、死亡診断書や保険受取人との続柄がわかる戸籍謄本などの書類を揃えてからなので、葬儀屋さんへの支払いには間に合いません。
人によっては病院からの請求も同時にあるかもしれません。父の場合は入院が短かったのとちょうど会計の締め日をまたがなかったのか、まだ清算はありませんが、葬儀代に比べたら微々たるものです。

お葬式って修羅場だわぁ〜。

ぺんぎんさんのお父さんはお金のかかったお葬式したんだなぁ〜と思われるかもしれませんが、それほどお金の掛かったお葬式ではなく、まあ、ちょっと伝統のある葬儀屋さんでやったからこんな地味でも許されるかな、という感じです。

ご家庭の中で世帯主が家計をガッチリ握っていて、配偶者やその他の家族はお小遣い、ヘソクリ程度しか持ってないというお宅は本当に困るだろうと思います。


母の場合、母も仕事をしていたので、父が亡くなって3ヶ月くらいの生活費に困ることはないだろうとは思っていましたが、葬儀費用に病院への支払いまで考えると心細いところでした。

だけど、誰がいつ死ぬかなんてわからないもんねぇ、誰でも自分が突然亡くなった時に家族が生活に困窮するようなことがないように、財産もほどほどに分割してそれぞれがお葬式代くらいは持っていないとオチオチ死ねないなぁ、と思ったのでした。

もちろん、死んだ人には関係のない話ですが、大事な人が自分の死後に生活に困ったり、葬式代のために親戚に頭を下げるなんてことは望まないでしょうからねえ。

お葬式の後も7日ごとの法要を家にお坊さんを呼んで行うご家庭もあるようで、それぞれの家でお寺さんとのお付き合いがあるから古い家や本家の人はやっぱり大変だなぁ、と思った父の葬儀でした。(父は三男だし、家には仏壇もなかったので、仏壇も買うことになってこれがまた出費なわけですが、7日ごとの法要はかなり端折ります。オヤジ様には閻魔様の前まで自力で辿り着いてもらいましょう。)

だけど、なんで銀行口座って凍結されちゃうんでしょう?病院とか役所から「この人はもう死んだ」ってお知らせがいくのかしら?マイナンバーでぜんぶ把握されたらもっとややこしいことになるのかしら?などと考えたのでした。

しかし・・・ってことは、母がなくなったら兄弟で出し合ってお葬式するのかしら?また誰かが銀行に日参してお金を移すんだわ。

こりゃ揉める家は大揉めするわけです。

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病院ライフを振り返る。(付き添い食べ物編)

わたしが本格的に介護というか、付き添いに参加したのは10日からだから、12日間ということになる。
病院の一階に病院生活に必要なものがすべて売られているコンビニがあって、何日か後になって2階にレストランがあるのに気がついた。

母はコンビニで食べ物を買って食べることになんの抵抗もなく、おにぎりなど平気で食べるし、父のおやつもコンビニのプリンとか、コーヒーゼリーとかで気にしない。

父にしてもたら、病気で感覚が鋭くなっているのだから薬臭いプリンなど食べられたものではなかっただろう。わたしが参加してから食べ物にはちょっと気を使うようになった。

気を使うといっても大したことはできない。まずはコンビニ飯を食べずにすむように、マシそうなものを地元のデパートから買ってくる。
だいたいいつ誰がお腹すいても食べられるように、棒鮨や巻き寿司が多かったなぁ。
そんな炭水化物生活もだんだん飽きてきて、

まずはコーヒー。
弟が家からコーヒーのセットを豆と一緒に持ってきてくれた。これぞクォリティー・オブ・ライフ!

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病室に香るコーヒーの素晴らしかったこと!個室でよかった!お父さん、お金稼いでてよかったね。個室の差額ベッド代こそ正しいお金の使い方だ。

父も時々コーヒーを欲しがったので、コンビニまでミルクを買いに行って、砂糖も入れてカフェオレを作ってあげても、本当に1口、2口しか飲まないだけだった。

入院する前、わたしたちが見舞いに家に行った時、広島からコーヒーを自分たち用に持って行って飲んでいたら、父も珍しくブラックで飲むようになって、美味しいコーヒーを楽しんでいたなぁ。わたしの連れ合いがいれたコーヒーが美味しいと喜んで飲んでいた。

付き添いの交代で弟が来てくれた時には、弟の嫁さんがわたしの分までお弁当を作ってくれて、青泥まで持ってきてくれる周到さ。弟よ、素晴らしい人と一緒になったね。偉いぞ!

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デパートで買うお弁当などに比べてなんと美味しいことでしょう。

泊まる時の晩御飯にはパンと野菜を別に持って行って、ソースや松田のマヨネーズなども持ち込んで、パンを焼いて(給湯室にレンジとオーブントースターがある)サンドを作っていた。

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この日はコロッケを買ってキャベツを刻んでコロッケサンドを作ったんだけど、野菜が多すぎてコロッケの味がわからない。

食パンを焼いて、レタスとスプラウト、アボカドにハムなど挟んだり、病室でチーズ食べようとフロム・ダンベールなど買ったけど、チーズに行き着く前に父は逝ってしまった。

買い食い生活は自炊生活にはない楽しみもあったけど、やっぱり自分で料理を作るとホッとしたのでした。

病院の料理はとても美味しくて、父はほぼ食べないので勿体無いんですが、規則では一応ご家族は食べちゃいけないということになっていた。(勿体無いから食べてくださいと言ってくれるナースに当たった時だけ頂いた。)

考えてみたら、入院当初と比べて、最後のころは本当に食べなかったなぁ。おかゆ2口くらい、それもおつきあいで食べているだけだった。
プリンも亡くなる5日位前には、モロゾフの大きなプリンを半分くらい一気に食べてびっくりしたけれど、最後は一日かけてやっと半分食べる程度だった。お口が甘くなればそれでいい、っていう感じの食べ方でした。味はよくわかっていて美味しいと喜んでいたなぁ。

コーヒー、プリン、スイートスプリングのジュース。それにわたしが作るサンドが付き添いの味でした。

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父の入院生活。(薬編)

さて、いよいよターミナルケアについて書いてみようと思います。
新年早々ターミナルもないもんですが・・・

大場久美子さんが自宅でお父様を看取ったというニュースを最近読みました。壮絶な介護だったそうです。

うちの父も壮絶でしたが、まったく意味が違って病気で苦しんでいるところを見る辛さはほぼありませんでした。

どんなケアだったのか。

投薬は朝ステロイドの点滴が一本。
わたしが付き添いをしていた時には食後に一錠薬を飲んでいたけれど、あれは消化剤だったらしい。この消化剤を飲ませたのは一度だけで、ほぼ食べなくなってからは消化剤も不要ってことだったらしい。
そして、夜はよく眠れるように睡眠薬。後半は夜9時過ぎくらいに点滴で睡眠薬を入れてました。日頃愛用していた薬の点滴バージョンです。

父は薬が大好きで、「いつも家で飲んでいた薬を持ってきてください」と看護婦さんに言われて持って行ったら看護婦さんがびっくりしていた、というくらい漢方も含めてあれこれ飲んでいました。

それが睡眠薬以外全部なくなって、ステロイドだけになった。

父のガンは膵臓頭部のガンが始まりで、それが主に肝臓、それから、胃や肺にも転移があったということで、家では肺がんの人特有の嫌な咳をしていたけれど、入院してからその咳がまったくなくなった。

大津先生の本fc2blog_20151109221008d28.jpg

「余命半年」に出てくる通り、ステロイドの注射だけでガンのいろんな辛い症状が消える。本の中には肺の水が抜ける話が出てくるけれど、肝臓ガンで腹水もタプタプと溜まっていた父も腹水を注射で抜くということはなく、お腹もパンパンにはならなかった。黄疸も出たり消えたりで、ちょっと黄色いなぁ、というくらい。

「ステロイドで肺の水も抜けるんだって」と本の受け売りをして、父に淀川キリスト教病院に行くように言っておいた。
わたしのアドバイスを聞いたとは思わないけれど、たまたま父の仲良しだった同級生の甥がそこで勤めていて、行きやすかったというのもあったらしい。父はどの病院に身体を預けるか迷ったんだと思う。緩和ケアなど「麻薬を打って楽にしてもらうところ」くらいにしか知らなかったようだけど、いくらか考慮してもらえたようで本当に良かった。

緩和ケアはよく効いたと思う。
普通の人ならあの状態だと電話を使っていろんな仕事や後片付けができただろう。2週間命が伸びた(病気による辛さが取れてて普通に思考できる時間が伸びた)なら、本当にいろんな後始末が出来るはずだけど、父はそういうことに時間を使わず、しつけので来てない5歳児のように振舞っていただけだった。

ガンの最後は身体が痒い。
黄疸が出ると痒みも出るんだそうで、痒みに対してはハッカの入ったオイルを病院で調合してくれて、これを塗ったらスースーして痒みが緩和されるようで、お風呂の後、クリーム(わたしが自宅から持って行ったiHerbで買ったサンプル品)を塗って、ハッカ水を塗っていた。

だから、腕には点滴を入れるための針は入っていたけれど、点滴は30分ほどを1日2回だけ。ガンによる痛みはなかったけれど、歯が痛いと言うので、普通の鎮痛剤を時々飲んでいただけで、麻薬系の鎮痛剤は結局使うことはなかった。

わたしが初めて当直した日、緩和ケアのドクターが回診に来てくれて、辛いことはないか?と聞いてくださったことがあったけど、緩和ドクターは一度来ただけだった。

緩和ケアが効いているというのは父もわかっていたようで、最後の頃は「緩和ケアっておもろいなぁ。ワシ知らんかったわ。わしもやってみよかなぁ」とまだ医学への興味を忘れないところには驚いた。父は緩和ケアのドクターには向いていたんじゃないかと思う。病気を抑制するんじゃなくて、病気による辛さをケアして生活の質を上げる医学はやりがいがあっただろうと思う。

あんなにたくさん薬を飲んでいたのに、最後はステロイドだけだった。今まで飲んでいた薬の害が消えて楽になったってこともあるかもしれないけれど、父の様子を見ていると、大津先生の本に書いてあるそのままだった。

亡くなる前の日、ドクターの回診の時に「ダルさが辛いようなら、もっとお薬を増やすし、痛みが辛くなったら麻薬系の薬も考えます」とおっしゃってくださったけれど、結局薬を増やす前に逝ってしまった。「身の置き場のない倦怠感」をどれほど我慢して耐えていたのかはわからないけれど、痛みはほぼなかったようだった。

ダルさのケアはステロイドを増やすってことだろう。痒みのケアのための薬(?)がちゃんと用意されていて、看護婦さんが塗ってくれるのには驚きました。これが淀キリか!と。

大場久美子さんも大津先生の本を読んでいたらお父様もそんなに苦しまずに済んだだろうにと思うとお気の毒です。

薬をほぼ使ってないので、入院費もほぼ部屋代。痛みのケアをしたらもっと薬代がかさむのかもしれませんが、通常のガン治療を考えたら、緩和ケアはお財布にも優しいのかもしれません。

問題は、良い緩和ケアにアクセスするのが簡単ではないということです。
広島にもホスピスがあるけれど、淀キリはもう一歩先をいってました。

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父の入院生活(看護&病院食編)

病院の付き添いったって、子供のオムツさえ変えたことないわたし。こんなわたしでも夜の付き添いが務まるだろうか・・・オヤジ様の暴言に耐えられるだろうか?

色々な不安はあったけど、排泄関係は「すぐ呼んでください。」とナースが言ってくれたので、始めの何度かはナースにお願いしていたけれど、尿瓶を使うくらいのことはすぐに出来るようになった。なんでも学ぶもんです。

父は恥ずかしいという感覚がないらしいので、世話をする方も気楽なものでした。

ナースコールをしなくても、時間を見計らってナースが様子を見にきてくれて、歯磨きや着替えやシーツの取り換えなど適宜やってくれた。多分普通の人ならずっと付き添う必要はなかっただろう。

ナースたちは「なんでもやるので言ってください」とおっしゃってくれて、本当に気持ち良く色々してくれたし、父が機嫌悪くて大変な時にはわたしは避難して、ナースに世話をしてもらったこともあった。

担当のナースが決まっていて、もちろん交代はあるけれど、メインで診てくれるナースが決まっているのは家族にとっても心強いことだった。帰る前休みの前やにはかならず挨拶に来てくれて、交代のナースも名札を見せて名前を言って挨拶をしてくれた。

ナースの名前を何人も覚えるなんてことはあまりないんじゃないかと思うけれど、これはきっと病院の方針だったんだと思うけど、皆さん本当に素晴らしいプロフェッショナルでした。

きれいな人が多くて、「ここの看護婦はべっぴんばっかりやなぁ〜」と父は喜んでいた。別に顔を採用基準にしているわけではないだろうけれど、きちんといい仕事をする人はいい顔になるもんだと思う。きれいな人たちに気持ち良く世話をされるのもなかなか良い最後だっただろう。

小さい頃から人に世話されることに慣れていた父は結構おとなしく看護を受けていて、シーツの交換や寝間着の交換にとても協力的だった。

看護の話ではないけれど、病院の食事は正直驚いた。夕食が6時半くらいに配られる。きちんと温かい料理が出てきて、プラスティックの食器に盛られた病院食ではあるけれど、毎日メニューが工夫されていて、お料理を作る人の心がこもっているのがわかる料理だった。病院の夕食は下手したら4時半くらいに配られるところも少なくない。夕食を6時過ぎに出すというのは大変なことだと思うけれど、それをきちんとやる病院だった。

本当に食べられないで返してしまうのが申し訳なくて、一度名前を書いた紙の裏にお礼のお手紙を書いてしまったほどでした。

病院のスタッフの働きがどれほど励ましてくれたかわかりませんでした。ターミナルケアではなくて、普通の病気で入院して家に帰っていく人たちには本当に元気になるための食事だったと思います。


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12月の料理教室は個人的な都合でキャンセルにさせていただきました。みなさま、ごめんなさい。

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父の入院生活(医療チーム編)

家族が呼ばれて医師からの説明があったのは、父の入院後5日目。
入院した翌日、胆管を通す内視鏡手術をし、その2日後の肝臓検査の数値は思わしくなかったため家族を呼んで説明する必要があったわけです。

胆管はガンに押されて詰まってしまって黄疸が強くなってきたので、胆管を通したら改善するかも、という目論見の手術だたわけですが、胆管は通って胆汁はちゃんと肝臓に流れているのに、肝臓の数値が改善しないということは、肝臓がもうかなりいっちゃってる、ということだそうです。

説明は主治医の消化器内科のドクター、それに父の知り合いでもある呼吸器内科のドクター。それに担当ナースと家族ケア専門の婦長さんが参加なさって、母、弟、それにわたしが話を聞きました。

経過の説明と、CT画像を見ながら丁寧に素人に分かるように説明してくださいます。

で、家族に相談というのは、
「あと1週間と告げるかどうか」

「このまま一般病棟にいるか、ホスピスに入るか?」

でした。

この病院のターミナルケアは、父の場合4人のドクターがチームになって治療方針を立てるんですが、その中に一人緩和ケアのドクターが入っていて、一般病棟にいながらホスピスと同じケアが受けられるので、患者さんは「わし、もうあかんねんなぁ」と思わせない効果があるように思いました。

さて、告げるかどうかですが、わたしは大津先生の本を読んでいたし、ガンの最後が早いというのは義父の例で知っていたので、ドクターが一週間と言った時には長くて10日と覚悟は決まりました。

母はこの時点でまだ入院すれば正月は家に戻れると甘く考えていたようですが、ドクターの話しで腹をくくったように見えました。

弟は告知はちょっと待ってくれ、という感じでしたが、だいたい男性のほうが諦めが悪いようです。

チームになってる4人のドクターのうち、一人の方とはお会いしませんでしたが、わたしが当直をしている時に緩和のドクターが回診に来てくれて、いろいろ聞いてくれたことがあったし、薬剤師さんまで回診に来てくれたこともありました。

ふだんは主治医のドクターが一日に何度か様子を見にきてくれて、家族の愚痴まで聞いてくれました。

担当のナースは家族一人一人と面談してそれぞれの心配や不安、家族との関係などの話しを聞いてくれて、家族のケアにまで心を配っているところも大津先生の本の通りでした。

家族の心配担当の婦長さんはちょうど父が不機嫌でわたしにさんざん喧嘩仕掛けて、ナースにも当たり散らしていた時に(たまたま)来てくれて、色々と愚痴を聞いてくださいました。(その後はわたしたちがとくに混乱してないのでもうケア不要と思ったのか、会ってません。)

治療ったって痛みのない父にはステロイドの点滴と、かゆみ止めのハッカ水以外なーんにんもしないわけで、家族によっては、「食べないから点滴で栄養いれてください」という場合もあるだろうけど、そんな時はどうするんだろう?

なんか今から思い返すとナースやドクターが家族のどうでもいいような愚痴を聞いてくれたことがどれほど良かったかわからないなぁ、父の看取りと一緒にわたしたちもケアされていたんだなぁと思うのでした。

一般病棟だったから、ナースのみなさんは一般病棟のナースなわけで、ターミナルの患者さんと、元気になって家や社会に戻っていく患者さんを一緒にケアしているわけで、考えてみたら自然なことなんだけど、一歩先行ってる感じがしました。

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弟の当直と交代して家に帰る。病院から家に帰る時は「んじゃ、いってきます〜」家から病院に来た時は「ただいま〜」と挨拶していた。

病院に行くと部屋に誰かいて、とくに週末は賑やかでしたが、父がいて和気あいあいというのではなく、父とはだいたい緊張関係で、一日に一時間ほど手がつけられないくらい攻撃的になって大変だった。
今頃あの世で「あんなこと言わねばよかった、あんな意地悪しなきゃよかった」と悔いていることだろう。

悔いのないように生きるためにも身近な大事な人との関係を大事にしようと思った。
どこまでも反面教師なオヤジ様です。


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淀川キリスト教病院

父が入院した淀川キリスト教病院(なんでも約す大阪人に淀キリと親しまれている)は、日本で最初にできたホスピスです。

淀キリは3年前に建て替えられて、とてもきれいな病院だった。4階にチャペルがあって、4階以上は吹き抜けになっていて、エレベーターホールにある椅子とテーブルが置いてある面会スペース(?)からチャペルが見下ろせるようになっています。

んで、朝、昼、夕方にミサがあって、病室のスピーカーから賛美歌や、牧師さんのお話が聞こえるようになっています。それがまた自分の好きなもの以外は嫌い!という子供っぽい父の機嫌を損ねるのですが、ちょうどクリスマスシーズンということもあって、なんとなく厳かな雰囲気が漂っていました。

病院が建て替わって新しいということもあってか、とても居心地のいい病院で、病院特有の気が重くなるような雰囲気がありませんでした。

淀キリというとホスピス!と知れ渡っているので、見舞いに来た親戚は「ここ、あの有名な病院やろ。やっぱり、あれか?麻薬であの〜その〜」と、ホスピスと緩和ケアとペインコントロールと安楽死をごっちゃにしている人が少なくありませんでした。

淀キリはホスピスもあるけれど、普通の病院なので、普通の病気の人もたくさん入院してらっしゃいます。点滴のスタンドを持った人が売店で買い物をしてたり、入院患者さんも病院の中で普通に生活していらっしゃいます。

治療をしないということに抵抗を感じる人がいらっしゃるかと思いますが、医者である父は自分の検査結果の数値と写真を見て、即座にどういう状態かわかっていたんだと思います。治療について、あれやれ、これやれ、とは言いません。

痛みがほとんどなかったのですが、なくなる2日前の夜、「右の胸が痛い」と言い出しました。

「これは狭心痛や。うー。痛い!」

え?右やろ?あんなぁ、お父さん。心臓って左にあるんとちゃうのん?

「わしゃそんな難しいこと知らんわ」
「心電とれや」とナースに命令する始末。

とまぁ、こんな具合なので、ナースも苦笑いしながら「あんまり痛いようなら鎮痛剤出しましょか」と言ってくださったけど、そのまま何もせず、翌日には「そーいえばそうやなぁ、もう痛ないわ」とケロっと。

右足が痛いとかも言ってたし、足の裏がうっ血して黒ずんでいたりしてきて、きっとドクターはそろそろかなぁと分かっておられたのではないかと思うけれど、看護しているわたしたちにはお迎えもまだ来ないみたいだし、しんどい、もうあかん、と弱音を吐くほど元気なのだからまだ先だろう、年越すやろか?と思っていたけれど、逝く時は結構アッサリとしたものでした。

わたしの予定では(ってどんな予定や?!)腫瘍が破裂してわ〜ってなって、あ〜ってなるシナリオや、錯乱&昏睡してみんなで付き添っているうちにさようなら、などと思っていたのに、普段通りの患者生活をしているうちにあっさりと亡くなってしまいました。

なんかなぁ、生と死の境い目ってどこにあるんやろ?と思った父の最期でした。

末期ガンがわかっていきなり行ってもなかなか緩和ケアには繋がれないそうで、父の場合、わたしの受け売りがあったことと、病院とは提携病院ということでつながりがあった上に知り合いの先生もいたので初診で即入院できましたが、まぁそれは業界人ということで運がいい部分はあったと思います。

普通は病院やお医者に縁がないと感心もないものですが、健康な状態のときに病気になった時はどんなケアをされるのか、その場合自分はどうするのか?どんな治療(代替治療も含めて)を選ぶのか、病気について、自分の身体について知ることは、生き方を選ぶことでもあるなぁ、と思います。

近所の人に「淀キリに入院してるねん」というと、「そぉ〜、あそこは誰でも入りたい病院や、ええところ入ってはるわ」と言ってくれる方もいて、病院の周囲にはな〜んにもないけれど、家からのアクセスも良く、新大阪からも徒歩15分、タクシーでワンメーターほどで、通院ストレスもなくて、通いやすいっていうのは、家族にとってもありがたいことでした。

医療スタッフにより家族のケアもある病院ですが、病院の雰囲気や駅からのアクセスが良いことも付き添い家族にとってもお見舞いの人にとっても大事なことだなぁ、と思ったのでした。

業界人とはいえ、いいところに入院したなぁ。親父、やるなぁ〜。


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長期断食と病気の最期。

父は10月ごろから極端に食が細くなって、一度の食事で本当にほんの少ししか食べなくなって母を困らせていました。

そうなったら、もともと嫌いなものは食べない。んじゃ何が好きって・・・永◯園のお茶漬けのりだったりするわけで、人の嗜好などそんなもんで、最期に食べたいものなんて、ごくありふれたツマラナイ食べ物なんでしょう。

11月の半ばにわたしが行った時、(入院の2週間前)自分用にブロッコリーのパスタを作ったものを少し分けてあげたら、とても喜んで食べたってことがあったっけ(ちょっとだけ)。
帰る前に作っていけというので、作ったら、父がほんの2口くらい食べて、残しているので母が食べてしまったら、父が怒って、帰りの車の中にいるわたしに母が慌てて電話を掛けてきて作り方を聞いたっていうこともあったっけ。

とにかく、入院前も半人前どころか、一口、二口しか食べない。ただ、回数は多かったかなぁ。でもいくら老人とはいえ食べる量が少ないのは気になるほどでした。

入院後、ますます食事の量は減って、最期の一週間は病院のおかゆも付き合いでほんの2さじくらい食べるだけ。スプーンで食べさせるので、分量も5ccくらいだったかもしれません。
病院の食事はとても美味しいのですが、まったく食べないこともあったし、お茶や水もほんの一口飲む程度。

これじゃまるで長期の断食みたいです。

ところで話は変わるけれど、子宮筋腫をなくすために2週間の断食をした友人がおりました。彼女は、ご両親とお連れ合いの4人で暮らしていたので、自分は断食しながら家族の食事の準備を三度三度きちんとしての断食でした。

断食の後にあれこれ根掘り葉掘り聞いたというか、彼女はとても詳細に説明してくれる人なのですが、最初の3日くらいはとても辛いのですが、それが過ぎたら食べないことはなんともなくなって、一週間過ぎたあたりからと〜っても爽やか〜で爽快になるんだそうで、食事の準備もまったく苦にならず、デザートまで作るほどだったんだそうな。

どんなに気持ちがいいかというと・・・

「草原で風に吹かれている感じ」

「即身成仏するボンさんってこんなにいい気持ちを味わってるんだわ」と語ってくれました。もちろん、断食があけてからの回復食が大変なのですが、食べない時の気持ち良さというか、なんともハイな感じって、一日の断食でもハイになるのでわかるような気がします。

んで、父の話ですが、食べない、ちょっとしか飲まない。でもちゃんと出るものは出てる、という状態。「ご飯きたからちょっと食べようね」と無理に食べさせなかったらもっと食べなかっただろう。

父の好きなプリンとか、美味しいフレッシュなジュースなども用意しなかったら、もっと食べなかっただろうし、食べかたを見てても、浮世の味を味わってるという雰囲気で、栄養とか、代謝はまったく関係ない感じでした。

で、栄養失調でガリガリになるかといえばそうでもなく、顔がほっそりしておばあちゃんによく似ててきて「お父ちゃん、おばあちゃんによぉ似てきたなぁ〜」というと「そぉか〜?、おまえもお母さんによぉ似てきたでぇ〜」と言ってたっけ。

寝っぱなしだから、脚も細くなったし、背中の肉もなくなって、お腹は腹水&ガンでタプタプはしていたけど、ひじや膝の関節が飛び出すような痩せかたはしていなかった。

今から思えば、長期の断食断水をゆるやかにやっていたみたい。意思で断食断水をしたというんじゃなくて、身体が水も食べ物も求めなかったから欲しくなかったという感じだった。

食べられるようになったらまた元気になって家に帰れる、と希望を持った家族もいたけれど、母はわりと早い段階で、無理に栄養を入れて苦しみを長引かせることはない、と思っていたみたいだった。

食べなかったことで父の最後は穏やかだったし、まったく食べないわけじゃないことで、家族も安心して看病が出来たように思う。ぜんぜん食べない人を看病するのはものすごく辛いだろう。断食断水の最期を迎えるにしても、ちょっとくらいは食べたり飲んだりしたほうが親切だなぁと妙なところで父は優しさを発揮するわけで、やっぱり「そこ、違う!そうじゃない!!」という感じがする困った人なのです。

そういえば、お見舞いに来る人が栄養の点滴しないの?と聞く人いたなぁ。自分が死ぬ時、食べたくないのに点滴で栄養入れられたいか、お腹に穴をあけてそこから胃に甘くてドロドロの栄養を入れてほしいか、そんなことも考えないといけないわけです。

食べない人を見送る。見送る側にも覚悟がいるし、それを支えてくれる医療スタッフがいたってことは、もしかしたらすごいことんじゃないかしら?とこの文章を書いていて思いました。

つーか、病院は儲からないよねえ。なんか、ほんとにありがとう、淀キリ。

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最期は体温調節が難しくなるらしい。温亀に助けられる。

さて、ターミナルケアの話題もそろそろ終わりが近づいてきました。

病室はだいたい25度くらいの設定になっていて、個室ですから、室温を上げたり下げたりもできるようになっています。
医療スタッフの制服は薄いもので、25度くらいで半袖か、人によっては長袖な感じでした。
12月は暖かかったのですが、薄いセーターなど着ていると病院では暑くて、病室に半袖のTシャツを置いておいて、病院に行ったら着替えていました。

父はといえば、病院から借りているパジャマ。パンツはおむつ、パジャマのズボンは嫌いだから着ない、という自由な感じで過ごしておりました。
んで、掛け布団が2枚。

普段はだいたい暑いといって、布団を掛けずに、バスタオルを掛けただけ。それでも暑がって、パジャマの紐(作務衣みたいに打ち合わせて左右を紐で結ぶ仕様)を自分で解いて前を全開にしたり、特に最期の3日くらいは脱ぎたがっていましたが、暑いのか、着物が身体を覆っているのが不快なのか、多分両方だったんでしょう。
あんまり暑がる時はうちわで扇いだりもしましたが、盛大に暑がった後、やっぱり「寒い」と言い出すわけで、布団を一枚余分にもらってきて3枚掛けたりってこともありました。

なんか、体温調節がうまくいかない感じで、手足は冷たいのに暑がったり、「暑い、寒い」の要求に合わせて、布団を掛けたり、はぐったり。付き添いは結構忙しく、ゆっくりものを考えたり、本を読んだりも出来ず、BigIssueを来る途中に買って、しみじみ読んだりしていました。

こういう時にビッグイシューは本当にいいなぁ、と感心しました。

暑い寒い攻撃は、夜になると一層激しくなり、寒がりかたが大変で、温亀は役に立ちました。しばらく寒がった後はまた暑くなるので、すぐに不要になるのですが、肝臓の近く、つまり、右の脇腹あたりに置いてあげると気持ちよさそうでした。

病院はあんなに暑くてわたしはTシャツ一枚でも暑いくらいだったのに、「お前寒ないんか?恐れ入るなぁ、寒いからどないかしてくれや!」と父が大騒ぎした時には本当に参りました。

さっきまで暑くて掛け布団をめくっていたと思ったら寒い寒いで、温亀を抱かせたらピタっと収まって少し眠るので、温亀にどれだけ助けられたかわかりません。

寒がるのはわずかな時間ですが、その時にはどうにも寒くて仕方がない様子でした。そんな時には熱が上がってるのかなぁ、と想像するのですが、体温の変化はそれほどあるわけではなくて、なんとも不思議な感じでした。

それにしても、温亀のある有難さ、父も「石、温めてこいや」と、石とか亀とか勝手に呼んでいましたが、父の最期の日々に付き添った温亀でした。

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脚のマッサージをしてあげると嬉しそうだった。脚はいつも冷たかったし、温かい手で触れれているのが心地よかったようです。母にはベッドに添い寝したらいいと何度か言ったのですが、照れくさいのか、いやなのかはわかりませんが、「こんな狭いところじゃ寝られへんわ!」と嫌がっていたけれど、ベッドに登って脚をさするくらいのことはしてくれました。テレビを観るのにいい位置で、布団に寄りかかれて、病室では最高のポジションでもありました。

しかし・・・寝巻きのズボン履いてないので間抜けですが、痴呆老人ではありません。

寒い夜には温亀は手放せません。ほんと、温亀、ありがとう。

温亀については、温亀カテゴリーを見てね。→http://penguinkitchen.blog54.fc2.com/blog-category-34.html

父が末期ガンだって聞いて、びっくりして温亀と温平板を持って行ったのは11月初めだったんだなぁ。あげたらすぐに愛用し始めて、ほんとに愛用していたなぁ。父が生き返ったわけじゃないけど、気持ち良かったんだろうなぁ。

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家族の協力

今回の父の看取り、それにその後のゴタゴタ(今まさにその真っ最中)でわたしたち兄弟と父母との関係が明白になったことに少々驚いています。

わたしは今でもそうですが、父のことは余り好きではありません。好きじゃないから客観的でいられるような気もします。それでも、義父や祖父母は亡くしましたが、実の親を亡くすというのはなかなか大変な経験だなぁ、と改めて思いました。

わたしたち子供がこんなに協力しあって、父の看取りプロジェクトに参加したことは母にとっても驚きだったようですが、母一人に押し付けられないし、母に倒れられたらもっと大変なことになる、とみんな分かった上で協力していました。(おとうさん、あなたがモラハラであれこれぶち壊すようなことをしなかったら、みんなもっと幸せだったはずだけど、あんたから逃げるために自立を強いられたのはやっぱり良かった。今頃あの世で悔いているだろうと思うと気の毒だ。)

「兄弟みんな仲良しでうらやましい」と言った友達がいましたが、別に仲良しというわけではなく、それぞれが自分のできることを懸命にやった、というのが実情です。

もちろん、その中で、ふだん話さないようなことも話したし、それぞれのパートナーへの理解も深まったけれど、仲良ししている、ということにはちょっと抵抗もあります。

ただ、一人の人に負担を押し付ける、ということがなかったのは良かったなぁ。わたしは母と交代でずっと泊まり続けないといかんか、と心配したけれど、弟が泊まってくれたし、兄も戻ってきて泊まってくれたので、兄が戻ってからは母を泊まりのシフトから外して〜などと思っているうちに容態が変で母を呼んだり、なんてことになってあまり変わらなかったけど。

仲良し家族じゃないんです。仲良ししなくても、必要な役割を無理にならない範囲で、各自ができることをやれば、いいし、やってほしいことを言ったり、聞いてみたりするコミュニケーションは仲良くすることよりも大事なことだなぁ、とあらためて思いました。

同じ親から生まれて、同じ家庭で育った兄弟たちも同じ環境のなかでそれぞれ違った経験をし、違うことを考え、親やおばあちゃんとの関係もそれぞれに違う関係を結んでいて、あらためて兄弟の間の差異を感じたし、それはとても大事なものだと思ったのでした。

仲良しじゃないし、わたしは今でも父のことが嫌い(やっぱ嫌いなんだよ、あの人は)だけれど、好きとか、仲良しだから、ということとは関係なく協力出来たことは良かったし、この先も母の快適な生活のために協力しないといけないことはたくさんある。

それにしても、わたしの連れ合いや弟のパートナーの協力には驚きました。夫は病院に3回も見舞いに来てくれたし、葬式の後、母のサポートのために週の半分は実家に戻るわたしに文句も言わないで、法事には出てくれる。(法事なんかでなくてもいいんだけどね、一人で家にいるのも寂しいらしい。)

義妹は母の寒中見舞いの宛名を印刷してくれたり、わが一族に決定的に欠けている部屋の片付けに素晴らしい能力を発揮して魔法のようにきれいにしてくれるし、5歳の甥っ子はぜんぜん邪魔にならなくて、いい感じにみんなを和ませてくれる。

最近婚姻と別姓について違憲じゃないとかいう判決が最高裁で出たけれど、ファミリーの形態って、名前じゃなくて、パートナーシップだし、婚姻のいいところは親が増えるところだとわたしは思っている。苗字を共有しないと一体感のない家族って、それじゃあ協議離婚した夫婦とその子供とかはどうなるのだ?名前が同じなら自動的に家族の一体感を得られるなら苦労などない。

仲良くする必要などないけれど、互いを尊敬し、尊重し、必要なときに必要な協力ができればいい。その結果仲良くなるのはいいけれど、仲良くなるためにいろいろする必要なんかない。

日本人の人間関係の弱さって、「みんな仲良くしましょうね〜」ってとこじゃないかと常々思っている。みんな仲良く、そんなことできるわけないじゃないか。仲良くしなくてもいい。協力できればいい。

仲良くしないでもいいから、必要なコミュニケーションは取るって考えたら、ソリの合わない家族とのコミュニケーションもそれほど気が重くない。

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5歳児、ばあちゃんの手伝いをして、古い伝票を処分するの図。

あれ、なんか野党共闘の話しみたいだな。


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忙中閑ありってわけじゃないけれど。

正月明けから週の半分は実家と家を行ったり来たり。
正月にはみんな集まったけど、正月が終わってわたしたちも兄も家に帰ってしまったら・・・

母は本当にあの家で一人ぽつ〜ん。やらなければいけないことが山のようにあって、どれもこれも初めての経験。香典返しの手配、生命保険の請求、証券の名義変更。遺族年金の申請などのために必要な書類の手配、それに喪中のハガキはもう遅いから寒中見舞いの手配etc etc.
相続の手続きなんて当分無理!(2年猶予あり)

それぞれの書類をクリアファイルにいれて分類してあったのに、次に行った時にはまたファイルの中身がごちゃごちゃになっている。

どうやら、一つのことが気になって、心配になったらあれこれ引っ張り出してごちゃごちゃにしてしまうらしい。

1度目に行った時は香典返しの手配を一緒にデパートに出向く。どうやら、数件の進物屋さんがガンガンにカタログを送ってきて、電話営業も掛かってきて、母の心の平安の邪魔をしていたようだ。

デパートで頼むから、送り先の名簿を整理しておいて、と言えばしっかりした名簿が作れるのだから今年80になる人にしてはたいしたもんだと思う。

とにかく、やることが多すぎるし、一人で考えるには手に余る。わたしも覚悟を決めて、週の半分は実家に帰り、広島にはパン焼きと酵母の更新ができればいいなぁ、という感じなのです。

わたしが行って手伝えることなどしれているけれど、一人でなければ心が落ち着いて、金融機関に電話で問い合わせするにも、区役所に書類を請求しに行くにしても心強いようで、一緒に仕事をするとサクサクと片付いていきます。わたしは母に代わって電話を掛けて必要なことを聞き出したり、母の心配話しを聞いたり、ランチに誘って気晴らししたり、晩ご飯を作ったりするくらい。

平日でないと片付かない用事も多いけど、休日には弟一家が来てくれて、寒中見舞いの宛名印刷やら、部屋の片付けやら、蛍光灯の取り換えなどしてくれて、ご飯も一緒にワイワイ食べて、母を気遣ってくれる。

義妹が着物を着初めて、自宅のちかくの鞠小路メソッドの教室に通い始めて半幅帯まで進んだところ。着物のことはよくわからないけれど、興味津々なお年頃。いや〜ん、わかるわぁ〜。着物と名のつくものならなんでも欲しいわよねぇ。

大津のtentoさんでセールやってんねんけど、行かへん?」と誘ってみたら、目がキラーン
お坊さんがお経上げに来る以外は片付け(永遠に終わりそうにない)の他特に急ぎの用事もないので、実家までわたしを拾いに来て、みんなでお昼を食べて(わたしが料理)、出かけることにした。弟と甥っ子はおつきあいだ。

義妹は背が高く手足が長い体型ですが、リサイクルでも探せば見つかるギリギリな体型。今練習中の紬は身丈が足りなくて腰紐が帯の下になっちゃうサイズ。慣れたら腰紐も帯も低くしてこれくらいのサイズが着やすいのかもしれませんが、慣れないうちはやっぱり着にくい。

彼女のために良さそうなお召しを見つけて、帯も3本。人の着物選ぶのって楽しいですね。

んで、あんまり買う気はなかったのに、つい、こんなもの買っちゃいました。

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色が被ってますが、雲模様の帯、かわいいでしょ〜。博多帯も良い帯だわぁ。軽くて締めやすいし、青系紫系使い分けられて便利そうだし、柄も素敵。
ついでに帯揚げも抑えにゲット。

義妹の買った着物は本当によくて、わたしもあんなお召し一枚ほしいわぁ〜と思うほど。帯や帯締めも買って、着物楽しんで欲しいわぁ〜。

義妹がなんで着物習おうって思ったのかわからないけれど、義妹とこんな風に着物買いに行ったりするなんて思いもよらず、楽しいひと時を過ごしたのでした。

着物を買って、近所のホテルでみんなでお茶をして、最寄駅まで送ってもらって車上の人となったのでした。

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無理して仲良くする必要は全然ないのですが、仲良くなるとこれまた楽しい。甥っ子にもなぜか懐かれて、彼の食事はわたしとおかーさんの間が定位置。
弟よ、よくぞ結婚した。たいしたもんだ。

いや〜、お買い物、楽しいですね。買い物に付き合ってくれた弟&甥っ子、それにentoさん、ありがとうございました!

早く着物来てお出かけしたいなぁ〜と思うのですが、着物でお出かけとはいかず、広島に戻ったら部屋着着物で過ごしています。あ〜、かわいい帯、早く締めたい。

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一週間遅れの誕生日ディナー。

家と実家を行ったり来たり。夫は寂しく家でお留守番。
仕事から戻って真っ暗で寒い家に入って、だれも迎えてくれず、電気をつけて、ストーブもつけて、それからご飯を作って食べるのだから本当に気の毒だけど、今はちょっと堪えておくれ。

わたしが母を置いておけなくて誕生日の日も実家から戻らなかったので、夫はちょっとヘソを曲げている。ごめん、誕生日ディナーしたかったんだね、ごめん。でもとてもそんな気分じゃないよ。

それから一週間、一つでも用事が片付くと目の前が明るくなるような気がする。金融関係の手続きは数は多いけれど、どこもやることは大差ないからルーティンでやっていけばいい。問題は、似てるけれどあれこれ違って、件数が多いので、何がなんだかだんだんわからなくなってくるところ。おかあさん、お願いだからファイルの中身は混ぜないで!!

いくつか用事に目処がついて、帯も買って(え、それは関係ない?)やっと気持ちに余裕が出来て、お店で待ち合わせ。
あいにく、広島駅についたら結構つよい雨が降っていたけれど、着物じゃないからへっちゃらさ。

久しぶりに夫とディナー。
今年の誕生日ディナーにはあの着物にあの帯でぇ〜と考えていたけれど、お洒落できなかったのが痛恨。また別の機会にお洒落しよう。普段着みたいなセーターで、お店にも申し訳ないが、向かいに座る夫にはもっと申し訳ない。洋服なのに、アクセサリーもつけてない。

さて、そんなことはだれも気にしてない様子で、料理です。

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シャンピニオン・ド・パリのサラダ。こんな素材だけっていう料理は相当好きです。

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アカヤガラ。
いや〜、久しぶりだ、ヤガラのこんな大きなの。大満足です。

前日の昼に届いたばかりの蝦夷鹿。まだ準備できないからメニューにないよな、と思ったのに、わたしたちの予約があるから大急ぎで準備してくれたらしい。なんか申し訳ない。

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デザートのは、クレープを。
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そして、夫からお花が。
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夫がいつも頼んでいるお花屋さんに頼んでくれたらしい。ありがとう。
お店のみなさん、親分、それに夫、ありがとう。まだしばらくは行ったり来たりで落ち着かないけど、どうか辛抱してください。

父が亡くなって祝い事どころではないけれど、こうやって連れ合いやいつものお店のみなさんから祝ってもらって、とても幸せな夜でした。

で、え〜、誕生日の夜は、母とお寿司食べたんだったな。話題は税理士さんがどーとか、銀行の名義がこー、とか。

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実家の片付け。

わたしが家を出てから20数年、知らない間に台所も洗面所もものすごいことになっている。

母は父のクリニックの薬剤師として仕事もしていたし、一日じゅう父が家にいる状態で家の片付けどころじゃなかったことはわかるけれど、いったいどれほど家の片付けに気が回らなかったのか・・・

お葬式の喪服のために裁縫道具を母に借りたら、針山に糸が絡まって、めちゃくちゃなことになっていた。もちろん、針は錆びてるし、いろんなボビンから出ている糸は絡まっているし、これじゃボタンつけだってままならない。

針山だけでなく一事が万事という感じで、生活のために使う物が外に出ていて、収納スペースの中のものはもう死蔵品。

とりあえず、母の快適な生活のために、と冷蔵庫の中や台所や洗面所を片付けるんだけど、いつのかわからないアレヤコレヤが出てくる出てくる!
しかも、収納スペースの中(15年くらい動いてない)を片付けるのはいいけれど、収納スペースに入れずに出しっぱなしスペースに格納されている使われているものと、使いかけでほったらかしにしているものたちをわたしが勝手に収納してしまうと、母はきっと「あれ?あれがない、これもないわ」と新しく買ってくることが目に見えている。
ゴミは減っても外にごちゃごちゃ置いてあるものは片付かず、なんか成果がみえない徒労感に襲われる。

自慢じゃないがこの母の娘であるわたし。片付けはだめ。収納なんかもだめ。使ったものを元に戻すなんて芸は持ち合わせていないし、整理はもちろん、分類とか、管理とか、ぜ〜んぜんだめという自覚がある。そのわたしが「あ〜、この人・・・あかんわ」と思うのだから筋金入りである。

母はとても頭のいい人で能力が高いことが自慢の人でもある。だけど、このプライドの高さが仇となっているのか、「わたしは全て頭で記憶しているので、管理の必要などありませんでしたが、記憶しているだけなので、忘れてしまったことは存在しません」という都合のいい解釈をするらしい。
つまり、分類や管理の分量が母の記憶力を超えてしまうと一気にカオスになってしまう。そして、その不都合を認められないのでなかったことにする。

自覚がないので改善しない。
プライドが高く頭がいいのにも困ったものです。

食器棚の下の開かずの扉(扉の前にプラのラックが置かれていて、インスタントな食品が詰め込んである)を開けたら・・・小麦粉やら変形した缶詰などがとても綺麗に収納されて出てきた。

あ〜あ、やっぱり収納したらダメなんだ。

かといって、空の戸棚の前にラックを置いておくのも馬鹿げた話。扉を取っ払ってしまおうか、もう全部捨ててしまおうか、など考える。

考えてみたら、わたしが実家にいたころは、暮になったら大掃除と称して冷蔵庫の中や食品戸棚や食器棚は整理して不要なものは捨てて、使わないものは奥にしまって、戸棚は拭いて掃除して、と一応掃除をしていたのだ。それを20年くらいやっていないのだからめちゃくちゃになるわけです。

わたしの家を知っている人わわかるだろうけれど、リビングのごちゃごちゃに比べて、台所は意外とすっきりしている。ごちゃごちゃだと料理できないから、鍋もスパイスもわりとさっと取り出せるようになっている。つまり、さっと取り出せるところにあるもの以外は全部死蔵品、不用品ってことなのよ。

それにしてもなぁ、やっぱりどこか心の隙間を物で埋めてるんだろうなぁ。わたしも人のことは言えないけれど、整理がダメ、収納したら百舌鳥のように即座に忘れる、という特性。一応自分では理解しているのは、母のカオスを知っているから。つまり、親ってのはありがた〜い反面教師なんだなぁ。

役所関係や金融関係の用事がない休日は、そんな感じで家の片付け。まだまだ開かずの戸棚、開かずの引き出しがたくさんあって、引き出しなんて、小銭にお金の入ったままの封筒、医療機関の領収書、昭和の時代の商品券など出てきて、リアルに宝探しなのです。

母は自分のものが入った棚や引き出しをガサガサされるのをちっとも嫌がらないのだけれど、母がしまいこんで忘れた物をわたしが片付けたって、母はまたゴチャゴチャにしてしまうような気がする。

軍国教育で少女時代を過ごして、戦中戦後の食べ物に不自由する時代を経て高度成長で豊かさを覚えた世代だから、足るを知るとか、好きなものだけつかって暮らすとか、引き算とかってもう一生無理なのかなぁ。

いや、親の世代を見ているから、「ほどほどでいいや〜」とか思えるのかなぁ。
親というのはかように有難いものです。

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実家の台所はかような次第なので、大した料理は出来ない。なぜかタジン鍋があるので、タイやブリのアラを買ってきて野菜と一緒に蒸し煮にしたり、オイル焼きにした料理ばっかり作っている。お味噌を家から持ってきて(もちろん自家製!)お味噌汁を作ったら、生活の質がちょっと上がった感じ。

母はわたしが作る料理が手早くて美味しいことにいつも驚いて喜んでくれるんだけど、こんなもので美味しいって喜ばないでよ。普通の材料で普通に作ったら美味しいのよ!

父の中有の旅も最終コーナーに差し掛かったところ、残されたわたしたちの冒険は続きます。


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中有の旅も最終コーナー。

父の35日の法要が終わった。

この日は弟一家が昼前にやってきて、家で賑やかに昼ご飯。もちろん、作るのはわたし。モティベーションの上がらない台所で、家にある材料で適当に作る。

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豚バラのチャウダー。とろみをつける材料は何年も前のものばかりなのでとろみなし。寒い日だったし、来た時にいつでも食べれるように煮込みがいいなと考えた。

法要だから、いままでご飯以外お供えしたことないお膳に料理を盛ってみようと煮物や和え物も作る。
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お膳、汁物は申し訳ないけどインスタントのワカメスープ。お父さん好きだよね、インスタント。かぼちゃの煮物にキャベツのごま和え。大根の漬物。このお供えは美味しくて、みんな食べてしまった。(オヤジ様かぼちゃ嫌いだが知ったことか。わたしゃお上人のために供えるんだわ)
しかし、なんでこんなことまでわたしが仕切らにゃならんのだ?お供えの料理くらい惣菜買ってきて用意したらいいのに、母ったらお膳のお供えは完全に無視だ。


この日は仏壇(父は三男なので家におばあちゃんはいても仏壇はなかった)を搬入し、仏壇の開眼法要も兼ねた法要で、お坊さんが二人も家にやってきた。

黒服着用とみんなにアナウンスしておいたのに、肝心の母が寒いことを理由に着替えるのを嫌がる。寒いったて家の中なんだから服くらい着替えればいい。ガタガタしていたおかげでわたしは着替えが遅れてしまう。

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仏壇屋さんに言われた通りに色々と供物をして開眼法要。お経はいつものお経とは違ってパーリー語らしいお経も混じっていた。狭い座敷にギューギューになってポクポクとお経が唱えられる。

法要が終わった後、お坊さんと話していて母が涙声になっていたのには驚いた。ショック状態から抜け出しつつあるのかなぁ。

このお坊さんは父の患者さんでもあって、お骨上げの時にお箸を持って一緒に骨を拾っていたのでびっくりした。

35日の法要というのは、この世とあの世の間を彷徨う魂が閻魔大王の前に引き出されて裁きを受ける大事な日なんだそうで、遺族が法要をすることで閻魔大王に大目に見てもらおうという魂胆なんだそうです。

いや、閻魔様にはしっかりさばいてもらうのが本人のためだ、とわたしは思うのですが、骨を拾ってくれるほどお上人が父を思ってくれるのだから、法要にも力が入っていて、お経はものすごいスピードだったのでした。

父の中有の旅もいよいよ最終コーナーをまわったところ。わたしたちもあれこれ書類を取り寄せて、父の死後の片付けのアレコレも動き出しています。

ものの片付けはまだまだ何年も掛かりそうですが、次に行った時には下駄箱片付けようかな。

しかし、母が仏壇を買うとは思わなかった。お父さんのいる場所だと母はいうけれど、祭壇に料理を供えたこともないのに、仏壇なんかどうするんだ?仏壇があればちゃんと毎日ご飯とお水を供えるんだろうか?しないとおもうなぁ〜。

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仏壇って先祖祀りとお上人祀りとセットになっている。開眼法要もしてもらってちょっとありがたい感じです。わたしの嫁ぎ先は禅宗だから仏壇はシンプルだし、仏壇なくてもいい。
それにしても配偶者が亡くなって急に信心深くなる母についていけない。なにか大きな勘違いをしている感満載。ま、母が満足ならそれでいいんだけど、「世間並み」が気になってるだけのような気がする。


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「お迎え」問題について考える。

面白い本を読んだ。

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電車の中で笑ってしまうことはよくあるけれど、涙腺崩壊系ってのはマジやばい。タイトルの通り、「お迎え現象」について終末期医療のドクターがいろんな事例を書いた本です。

今まで「お迎え現象」って医療の現場では(見聞することが少なくないのに)「そんな非科学的なこと!それでもお前は科学者か!」とタブーだったんだそうですが、最近は真面目に研究されるようになってきたんだそうです。

父が亡くなる3日くらい前から「あ〜、もうあかんわ。」と言いだしたので、「お迎えきた?おばあちゃん来た?爺さんは?」と聞くと、「あんな奴ら来るかい!お迎えなんか来ないわ!」と言っていたけれど、亡くなる時に着き添いしていた兄によると、「『おかあちゃん』と甘えた声で呼んだ」といったらしい。

状況からおばあちゃんが迎えに行ったらしいが、亡くなる数時間前のことだった。

話はかわるけれど、亡くなる直前には苦しみから解放されると大津秀一先生の本にかいてあったけれど、父も亡くなる半日くらい前から「あ〜、身体楽になったわ〜」と言ってたそうで、どういうメカニズムかよくわからないけれど、脳内麻薬かなにかが出るのかもしれません。

カラダの苦しみから解放されて、親しい人がお迎えに来てくれたら死ぬのも悪くないような気もしますが、さて、「お迎えされて人は逝く」。

この本によると、死の数日前からお迎えはくるようで、だれもいないのに話しをしたり、手を伸ばしたり、帰っていくお迎えの人を見送ろうと歩けないのに歩こうとして転倒したりってことがあるそうで、今までは「せん妄」つまり、病気で頭がおかしくなって幻覚幻聴が出ているから薬(精神科の薬)で対処しているんだそうです。

周りのものには見えないし聞こえないお迎え現象、本人の意識がちゃんとしていたら、家族の人には誰かがお迎えに来たかわかるのかもしれない。父のばあい「おかあちゃん」というのが、母親のことなのか、妻のことなのか、よくわからないけれど、おばあちゃんが迎えに来たって思うと「よかったなぁ〜」と思えるものです。

お迎え現象と心霊現象の大きな違いは、嫌な感じや怖さがなくて、親しみとか、安心とかそんな感じがするところなんだそうです。

お迎え事例の中で驚くことは、子供の時に死んだ息子が青年になった姿で現れて、お母さんには見知らぬ青年が病で死んだ次男だって直感でわかった、っていう話し。

年老いて死んだ人が迎えに来る時に若くて元気な姿だっていうのは記憶の中にその姿があるからわかるような気がするけれど、夭折した人が成人した姿でお迎えに現れるっていうのはとても不思議です。

信仰とか、世界観とかによってお迎え現象も違ったものになるのでしょうが、魂の旅立ちに親しい魂が迎えにきてくれるというのはなとも安らかな気持ちがするのでした。

今目の前に父の遺影があるんだけれど、なんか違うんだなぁ。

6・7日(7日が6回目)を過ぎて、なんとなく父の気配も薄れてきたような気がしますが、父の魂も閻魔大王の裁きを受けて、霊格をあげる修行の旅に出ようとしているのかもしれません。

なんかねぇ、死んだらおしまいのような、その先もまだまだ続くような、なんかよくわからないけれど、一つわかることは、この世にいるってのは奇跡なんだなぁ。

父が亡くなって悲しいとか、半身もがれるとか、そんな感じはあまりないのだけれど、なんだろうなぁ、「あんた、残念やったなぁ。どっかで間違えたんやで。今度はもっと上手にやりや」って思うのです。

「うっさいわい!人の心配せんと、自分のこと心配せい!」って言ってる。
「あほ、あんたのことなんか心配してへんわ!ぜんぶ丸投げしやがって!」

というわけで、オヤジ様のお骨やら位牌やらある部屋で寝起きしている実家暮らしなのです。

オヤジ様に迎えに来て欲しいかって・・・微妙やなぁ。


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