「心のおもむくままに」

珍しく文学を読んだ。


心のおもむくままに<新装版>心のおもむくままに<新装版>
(2007/10/18)
スザンナ タマーロ

商品詳細を見る


母と娘とそのまた娘の物語り。登場人物は母の母、つまりおばあちゃん。しかしそれはニコニコして美味しいものを作ってお小遣いをくれるおばあちゃんじゃない。

日本だったらこの手の物語りは自分の体験を元に描かれるのだろうけれど、本作を書いた時著者は30代半ばだったので、半身が不自由になった老女の生活を描くのに困難があったとあとがきで明かされる。

アマゾンのレビューを読むと、女性の生き方バイブルのように読まれているらしいこの本、わたしにはちょっと退屈なおばあちゃんの独白だった。

物語りの最後、愛人も亡くなり、夫は胸に秘めていたことを言葉に出して亡くなり、孫娘と遺された主人公はなぜか神父と毎週ハイキングに行くことになる。

そこで神父が主人公に色々な話しをするのだけれど、きっと著者はこれが書きたかったんだろう。

「人を成長させるのは苦悩だけだが・・・しかし、苦しみからは早く抜け出したほうがいい。そこに逃げこんだり自分を憐れんだりしていると、自分が見えなくなってしまう」
彼によれば、人の心は地球みたいなもので、半分は太陽にてらされ、半分は陰に入っているという。聖者だって光だけにつつまれているわけではない。「その理由は簡単で、身体があるからなんだ・・・われわれ自身は陰みたいなもで、というか蛙に似た両生類で、ここの低いところに済みながら高いところを仰ぎみている。生きるというのはそのことに気づいたり知ったりするだけのことですよ。」



「逝ったものがわたしたちの胸にのしかかるのは、お互いに言わなかったことがあるためなのだ」
物語りの冒頭、なぜ主人公が孫娘に手紙を書くのか、その理由だ。

遺されるだろう孫娘に置き手紙のかたちですべてを語る主人公はちょっとずるいような気がする。そんな感想しか持たないわたしはきっと秘密にするような深みのある人生を過ごしていないということなんだろうな。母との問題を自分の中でケリを付けることができるだけ母が存命であることも幸いだし、葛藤する自分の娘もいないことも幸いなのかもしれない。

当の母は今イタリアに遊びに行っている。人生の苦悩に向き合ったようには思えない。きっとわたしの存在が一番の苦悩の種だろうと思うけど、わたしが戦線離脱してしまったから、娘はただのグチを聞かせる相手に成り下がってしまった。思考の深みに欠ける能天気な母は、物語りに出てくる主人公の娘に似ているのかもしれない。

わたしは・・・時々登場する近所のおばさんというところだな。


ランキングに参加しております。
いつも応援ありがとうございます。
にほんブログ村 料理ブログ ローフードへ
にほんブログ村
にほんブログ村 有機・オーガニック
関連記事

コメント

コメントの投稿