見送る。

なんとなく心に余裕が出来て、家計簿をつけたり、ブログの更新をして、病院には兄が泊まった未明、「起きてや!ぺんちゃん、起きて!車運転して!」という母の声に起こされて、アワアワと服を着て、父の車に母を乗せて、病室に持ち込んだアレコレを持ち帰るためのスーツケースも詰め込んで、病院へ駆けつける。

車で行くのは初めてで、母のナビで何度か道を間違えるけれど、時間が早いため車が少なくて無事到着。
私たちがついた時にはまだ身体が温かかった。

うたた寝していたスキに連れて行かれた、と兄は言った。
えらく静かだな、と思って心臓に手を当てたら、自分の脈か父の鼓動か区別がつかないくらいだったらしい。慌ててナースを呼んで脈をみてもらったら、「あ〜、今脈が消えたような感じですね〜」と実に曖昧な表現をされた。

夜勤のナースは二人だけなのに、私たちがついた時には二人のナースが父の周りでアレコレしていてくれて、本当に申し訳ない。
母の到着を待って、当直のドクターを呼んで死亡確認。

事切れる現場にいたわけではないので、死亡確認も形式的なものだ。
父は心電図のモニターにつながれていたわけではないし、点滴されてたわけでも、何かのチューブが繋がってたわけでもなく、自然に亡くなった。

この前日、わたしが当直した日、様子がおかしいので夜の10時に母を呼んだのだけど、母はおかげで眠れなくて、一晩中父のわがままに付き合わされて、母は眠れなかったけれど、きっと呼んで正解だったんだと思う。

「かゆい、かいて。そこ、もうちょっと上」「おしっこ」「お茶ちょーだい」「プリン食おかぁ」「アイスコーヒー」「ちょっと休憩」「寒いわ」「暑い」

父はなぜか夜中2時過ぎから絶好調になってこれらの希望を順列組み合わせで繰り出すので、当直はほとんど休めないため、父が寝る10時くらいから2時くらいまでに寝ないといけないのに、この日は10時ごろから様子がおかしかったのです。

本当なら当直のわたしが父のわがままに付き合うところなのに、母は「あんたはもう寝てなさい」と結構情け容赦ない感じで父のわがままに付き合っているのでわたしは二人のやりとりを聞いて、笑い転げていただけだった。

母以外の人が父から「アイスコーヒー」と言われたら、アワアワと一階のコンビニに買いに行ったり(といっても一口しか飲まない)給湯室からお湯をもらってきて、部屋でコーヒーを入れて砂糖を入れて、氷で冷やして、なんておおごとになるのに、母はお茶の入ったコップのストローを父の口に突っ込むだけで、父のわがままへの対処法が良くわかっている。またそれに対して父も文句言わないところは母のマジックだった。

死の前の夜に父は母にぞんぶんに甘えて二人で濃厚な時間を過ごしたんだろう。
みんなが寝ている間にしずかに逝ってしまうところは父らしい愛情表現だったと思う。

ガンは脳が破壊されなければ最期まで意識があるとは知っていたけれど、父の場合本当にそうだった。痛みが出なかったので、「身の置き所のない倦怠感」には悩まされたけれど、誰が来て、誰が帰って、何を話していたか、ぜんぶ分かっていた。

わたしが10日から付き添いに参加した頃は、穴子飯がうまいとか、鯖寿司のご飯を食べたり、量は多くないけれどいろいろ食べていたけれど、歯が痛いから食べられないと言い出して(歯というより、歯茎が炎症をおこしていた。歯磨き嫌いだからプリンたべてそのまま寝てたし・・・)だんだん噛んで食べるものは食べなくなって、お茶とプリン、スイートスプリングを絞ったジュースなどを少し口にする程度だったけれど、最期まで自分の口からたべたりのんだりしていた。

おトイレは入院当初は母に支えられて自分でトイレまで歩いていたけれど、わたしが付き添いを始めた10日にはもうオムツに尿瓶やおまるだった。夜中でなければ尿瓶で受けて、おむつを汚すこともなかったのに、最期の3日くらいは尿瓶を当ててもでたりでなかったりだけど、なくなる日にちゃんと尿瓶で出来たり、ってこともあった。

身体もほぼ機能していたんだなぁ。

ドクターの死亡宣告からしばらくして、弟一家が到着。朝になって、葬儀社が引き取りに来るまでテレビ&冷蔵庫カードの清算をして母を除くみんなで食堂に朝食を食べに行った。

テレビカードのシステムがよくわからなくて、カード一枚で冷蔵庫1日分だと思っていたら、なんと5日分くらいあったみたいで(冷蔵庫のためにたくさんカードを買っていた)結構な額がぜんぶ100円玉と10円玉で出てきたので、そのコインで朝食代を清算したら・・・

ぴったり同額だった。

5歳の甥を交えて朝ごはんを食べている間、濃厚に父の気配が漂っていた。

「どや、おもろいやろ」と笑っているみたいで、「お父さんマジックやな」と言い合った。

葬儀屋さんが遺体を引き取りに来た時には担当ドクター二人も挨拶に来てくれて、ベッドで運ばれる父に付き添って、ドクター二人と担当ナース一人の三人の方が病院の出口まで丁寧に見送って下さった。

母と兄は葬儀社の車に乗って、父の車に一人乗り、朝の新御堂を北に向かって車を走らせていたら、道路の継ぎ目のリズムが、ああそうだった新御堂を走るといつもこのリズムだったなぁ、と妙なことを思い出したのでした。
長く大阪を離れているうちにすっかり知らない街になってしまったけれど、こんなところにわたしが育った大阪が残っている。

22という数字が好きだったのかどうかわからないけれど、22日に生まれて、22日にお隠れになりました。入院から19日、ドクターの予想をはるかに超えたサイボーグっぷりでした。

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父のデスク。父が望んだ通り生涯現役だったのでそのままです。後は野となれ山となれ、我亡き後に洪水は来たれ、ってことですね。

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コメント

お悔やみ申し上げます。

ぺんぎんさん、大変な中、コメントへの返信を
ありがとうございました。
お父さまは見事なご最期だったのですね。
生涯現役でいらしたのも、素晴らしいことだと思います。

まだまだ色々とあって、大変でしょうが、
もう少し落ち着かれたら、ぺんぎんさんも
お体を休めて下さいね。

No title

 お久しぶりです。

 この度のこと、お悔やみ申し上げます。
 最初のショックが少しずつ癒えはじめても、
 あとからあとから、昔のことや最近のことがあれこれと思い出されて、
 気力も体力もたくさんもっていかれてしまうことと思います。

 どうか、無理せず、ゆっくりとお過ごしください。
 
 今年もお世話になりました。
 マフラー様には、毎日ほっと癒やされています。
 ありがとうございます。

Re: お悔やみ申し上げます。

> Lushunさん
お優しいお言葉、ありがとうございます。お正月で実家に戻っていますが、母もだんだんリラックスしているようでひとまず安心です。
わたしはなぜか眠くて眠くて、10時くらいから寝てしまって、朝起きたら腰が痛いと、中学生みたいになってます。役所関係は休みなので、今の間に神経を休めつつ、休み明けから始める手続きをあれこれ考えています。

Re: No title

>  ちくたくさん
お優しいお言葉、ありがとうございます。
そうか、もうしばらくしたら、昔のあれやこれやが襲いかかってくるのですね。
入院中の父の蛮行冒険の数々はもう既に笑い話になりつつあります。

マフラーご愛用ありがとうございます。
ちくたくさんには素晴らしい一年となりますように!

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