淀川キリスト教病院

父が入院した淀川キリスト教病院(なんでも約す大阪人に淀キリと親しまれている)は、日本で最初にできたホスピスです。

淀キリは3年前に建て替えられて、とてもきれいな病院だった。4階にチャペルがあって、4階以上は吹き抜けになっていて、エレベーターホールにある椅子とテーブルが置いてある面会スペース(?)からチャペルが見下ろせるようになっています。

んで、朝、昼、夕方にミサがあって、病室のスピーカーから賛美歌や、牧師さんのお話が聞こえるようになっています。それがまた自分の好きなもの以外は嫌い!という子供っぽい父の機嫌を損ねるのですが、ちょうどクリスマスシーズンということもあって、なんとなく厳かな雰囲気が漂っていました。

病院が建て替わって新しいということもあってか、とても居心地のいい病院で、病院特有の気が重くなるような雰囲気がありませんでした。

淀キリというとホスピス!と知れ渡っているので、見舞いに来た親戚は「ここ、あの有名な病院やろ。やっぱり、あれか?麻薬であの〜その〜」と、ホスピスと緩和ケアとペインコントロールと安楽死をごっちゃにしている人が少なくありませんでした。

淀キリはホスピスもあるけれど、普通の病院なので、普通の病気の人もたくさん入院してらっしゃいます。点滴のスタンドを持った人が売店で買い物をしてたり、入院患者さんも病院の中で普通に生活していらっしゃいます。

治療をしないということに抵抗を感じる人がいらっしゃるかと思いますが、医者である父は自分の検査結果の数値と写真を見て、即座にどういう状態かわかっていたんだと思います。治療について、あれやれ、これやれ、とは言いません。

痛みがほとんどなかったのですが、なくなる2日前の夜、「右の胸が痛い」と言い出しました。

「これは狭心痛や。うー。痛い!」

え?右やろ?あんなぁ、お父さん。心臓って左にあるんとちゃうのん?

「わしゃそんな難しいこと知らんわ」
「心電とれや」とナースに命令する始末。

とまぁ、こんな具合なので、ナースも苦笑いしながら「あんまり痛いようなら鎮痛剤出しましょか」と言ってくださったけど、そのまま何もせず、翌日には「そーいえばそうやなぁ、もう痛ないわ」とケロっと。

右足が痛いとかも言ってたし、足の裏がうっ血して黒ずんでいたりしてきて、きっとドクターはそろそろかなぁと分かっておられたのではないかと思うけれど、看護しているわたしたちにはお迎えもまだ来ないみたいだし、しんどい、もうあかん、と弱音を吐くほど元気なのだからまだ先だろう、年越すやろか?と思っていたけれど、逝く時は結構アッサリとしたものでした。

わたしの予定では(ってどんな予定や?!)腫瘍が破裂してわ〜ってなって、あ〜ってなるシナリオや、錯乱&昏睡してみんなで付き添っているうちにさようなら、などと思っていたのに、普段通りの患者生活をしているうちにあっさりと亡くなってしまいました。

なんかなぁ、生と死の境い目ってどこにあるんやろ?と思った父の最期でした。

末期ガンがわかっていきなり行ってもなかなか緩和ケアには繋がれないそうで、父の場合、わたしの受け売りがあったことと、病院とは提携病院ということでつながりがあった上に知り合いの先生もいたので初診で即入院できましたが、まぁそれは業界人ということで運がいい部分はあったと思います。

普通は病院やお医者に縁がないと感心もないものですが、健康な状態のときに病気になった時はどんなケアをされるのか、その場合自分はどうするのか?どんな治療(代替治療も含めて)を選ぶのか、病気について、自分の身体について知ることは、生き方を選ぶことでもあるなぁ、と思います。

近所の人に「淀キリに入院してるねん」というと、「そぉ〜、あそこは誰でも入りたい病院や、ええところ入ってはるわ」と言ってくれる方もいて、病院の周囲にはな〜んにもないけれど、家からのアクセスも良く、新大阪からも徒歩15分、タクシーでワンメーターほどで、通院ストレスもなくて、通いやすいっていうのは、家族にとってもありがたいことでした。

医療スタッフにより家族のケアもある病院ですが、病院の雰囲気や駅からのアクセスが良いことも付き添い家族にとってもお見舞いの人にとっても大事なことだなぁ、と思ったのでした。

業界人とはいえ、いいところに入院したなぁ。親父、やるなぁ〜。


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