家族の協力

今回の父の看取り、それにその後のゴタゴタ(今まさにその真っ最中)でわたしたち兄弟と父母との関係が明白になったことに少々驚いています。

わたしは今でもそうですが、父のことは余り好きではありません。好きじゃないから客観的でいられるような気もします。それでも、義父や祖父母は亡くしましたが、実の親を亡くすというのはなかなか大変な経験だなぁ、と改めて思いました。

わたしたち子供がこんなに協力しあって、父の看取りプロジェクトに参加したことは母にとっても驚きだったようですが、母一人に押し付けられないし、母に倒れられたらもっと大変なことになる、とみんな分かった上で協力していました。(おとうさん、あなたがモラハラであれこれぶち壊すようなことをしなかったら、みんなもっと幸せだったはずだけど、あんたから逃げるために自立を強いられたのはやっぱり良かった。今頃あの世で悔いているだろうと思うと気の毒だ。)

「兄弟みんな仲良しでうらやましい」と言った友達がいましたが、別に仲良しというわけではなく、それぞれが自分のできることを懸命にやった、というのが実情です。

もちろん、その中で、ふだん話さないようなことも話したし、それぞれのパートナーへの理解も深まったけれど、仲良ししている、ということにはちょっと抵抗もあります。

ただ、一人の人に負担を押し付ける、ということがなかったのは良かったなぁ。わたしは母と交代でずっと泊まり続けないといかんか、と心配したけれど、弟が泊まってくれたし、兄も戻ってきて泊まってくれたので、兄が戻ってからは母を泊まりのシフトから外して〜などと思っているうちに容態が変で母を呼んだり、なんてことになってあまり変わらなかったけど。

仲良し家族じゃないんです。仲良ししなくても、必要な役割を無理にならない範囲で、各自ができることをやれば、いいし、やってほしいことを言ったり、聞いてみたりするコミュニケーションは仲良くすることよりも大事なことだなぁ、とあらためて思いました。

同じ親から生まれて、同じ家庭で育った兄弟たちも同じ環境のなかでそれぞれ違った経験をし、違うことを考え、親やおばあちゃんとの関係もそれぞれに違う関係を結んでいて、あらためて兄弟の間の差異を感じたし、それはとても大事なものだと思ったのでした。

仲良しじゃないし、わたしは今でも父のことが嫌い(やっぱ嫌いなんだよ、あの人は)だけれど、好きとか、仲良しだから、ということとは関係なく協力出来たことは良かったし、この先も母の快適な生活のために協力しないといけないことはたくさんある。

それにしても、わたしの連れ合いや弟のパートナーの協力には驚きました。夫は病院に3回も見舞いに来てくれたし、葬式の後、母のサポートのために週の半分は実家に戻るわたしに文句も言わないで、法事には出てくれる。(法事なんかでなくてもいいんだけどね、一人で家にいるのも寂しいらしい。)

義妹は母の寒中見舞いの宛名を印刷してくれたり、わが一族に決定的に欠けている部屋の片付けに素晴らしい能力を発揮して魔法のようにきれいにしてくれるし、5歳の甥っ子はぜんぜん邪魔にならなくて、いい感じにみんなを和ませてくれる。

最近婚姻と別姓について違憲じゃないとかいう判決が最高裁で出たけれど、ファミリーの形態って、名前じゃなくて、パートナーシップだし、婚姻のいいところは親が増えるところだとわたしは思っている。苗字を共有しないと一体感のない家族って、それじゃあ協議離婚した夫婦とその子供とかはどうなるのだ?名前が同じなら自動的に家族の一体感を得られるなら苦労などない。

仲良くする必要などないけれど、互いを尊敬し、尊重し、必要なときに必要な協力ができればいい。その結果仲良くなるのはいいけれど、仲良くなるためにいろいろする必要なんかない。

日本人の人間関係の弱さって、「みんな仲良くしましょうね〜」ってとこじゃないかと常々思っている。みんな仲良く、そんなことできるわけないじゃないか。仲良くしなくてもいい。協力できればいい。

仲良くしないでもいいから、必要なコミュニケーションは取るって考えたら、ソリの合わない家族とのコミュニケーションもそれほど気が重くない。

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5歳児、ばあちゃんの手伝いをして、古い伝票を処分するの図。

あれ、なんか野党共闘の話しみたいだな。


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