児島㐮さんの太平洋戦争。

修行に出ていて、更新が滞ってしまいました。世間は広島忌と長崎忌を過ぎてお盆に突入。
そこで色々と思い出したり、考えたりしたことを書いてみよう。

わたしの行っていた大学で、うちの学科は人数が少なく、チューターでひとクラスという感じのこじんまりした集団だった。
そこで、チューター担当の教授が、何を考えたのかわからないけれど、毎週一冊指定の本を読ませて“解説”を書くという課題を出した。
あれは何かの授業だったのかもしれない。大学生といっても高校生の延長みたいなものだから、先生に出された課題は単位になろうがなんだろうがやるべきだ、みたいなところがあって、結構大変だったことを覚えている。

とにかく、読んだこともないような分野の本には面食らった。本を買うだけでも大変なのに、それを1週間のうちに読んで、感想文じゃなくて、解説をかかないといけない。
解説って本の後ろに書いてあるアレみたいなもんでしょ?予備知識も一般教養もないのに書けるわけない。だから、解説文から丸写ししていた人も少なくなかった。当時は手書きなのでコピペもできないからね。なかなか大変だった。

書く方も大変だけど、読まされる方はもっと大変だろう。文章に繋がりがなかったりするんだから。

最初にずーっと課題になっていたのが、児島㐮さんの第二次大戦関連の著作。

今アマゾンで検索したけれど、太平洋戦争上下の他に南洋での戦闘とかの本も読んだような気がする。4冊くらいは児島先生の本を読まされた(まさに、読まされたわけですよ!)ように記憶しているけれど、定かではありません。

18歳の女の子に戦記物を読ませる先生ってなんか悪趣味な気がしたけれど、児島㐮さんの本はただ淡々と戦史に基づいて書かれている。事実だと思われるものだけで構成された本だった。

読むのは本当にしんどかった。
単純に、字を読むのがしんどいし、話の内容は訳が分からない。起こることに整合性が感じられない。なんでこんなことやってるんだ?これ、歴史やで?ナンジャコリャ?

わたしはどちらかといえば右寄り、保守。ゴリゴリのフェミニスト。愛国者であり、コスモポリタン。自国の文化があるから世界に出ていける。日本語がわかるから、外国語が学べる。

しかしね、個人の上に国家があるわけじゃない。わたしという人間と日本人としてのわたしと、日本国というシステムは同等の関係でわたしの上に日本国というシステムが存在するとは思えない。なぜなら国というシステムはいつも国民を守るとは限らないから。

それは「太平洋戦争」を読めばよくわかる。国を守るための戦争が、ただ戦争を続けるだけのための戦争へとすり替わっていくのが克明に記録されている。

大学で何を学んだか?大学に行ってなんになる?という話がよくあるけれど、わたしはこの単位にならない1000本ノックみたいな読書&解説書きのおかげで“考える”とはどういうことか?ということを学んだように思う。

そのことを大学の教員をしている知人に話したら、「それがわかれば十二分に大学に行った価値はある」と慰めてもらった。

しかし、どうして課題図書の最初が「太平洋戦争」だったんだろう?やっぱり現代日本を考える上であの戦争が実際何だったのか?イデオロギーや情を排して知る必要があると、あの京大山岳部の教授は考えたんだろうか?

毎週一冊ってわけじゃなかったかな?でも一ヶ月はなかったから、2週間くらいだったかな?文学部でもないのに本を読むのは大変だったし、本の内容はほとんど覚えてないけれど、本に書いてあるエッセンスみたいなものはわたしの人間の芯にしっかりと残っている。

学校嫌いだったけど、思い返せば良い経験させてもらったなぁ。両親にも学費の値打ちがあってよかった。
同窓会にも出ないけど、友達が集まってもあまりこの読書&解説書きの課題の話題は出ないなぁ。他の人にはどんな経験だったんだろう?

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